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雑文(こだま投稿)  4月30日

    高齢者の備えは際限ない

 毎日欠かさず新聞には目を通しているのだが、「認知症徘徊で死亡した事故での民事訴訟判決」の記事は気づかずじまいだった。雑談の中で、認知症の事故で賠償金を遺族が出さねばならなくなったらしいという話題がでた。その時は大して気にもとめていなかった。
 二十九日社説を読んで驚いた。「オイルショック」をかけた「老いるショック」という言葉で、長生きすることの不安を説明していた講演会を思い出した。一家の稼ぎ手の万一に備える生命保険よりも、長生きによる経済的負担対策の保険の方が気になる世代である。医療・介護の備えは理解していたものの、家族が認知症徘徊して輸送機関などに被害をもたらした場合、賠償責任まで、それも多額の負担を負わねばならないとは、なんとまあ生きづらい世になったことかと慨嘆したくなる。
 〈社会全体で認知症の高齢者を支える仕組みを考えていきたい〉と社説はいう。今まで具体策を考えてこなかったことがおかしい。 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞29日朝刊

雑文(こだま投稿)  4月21日

    小姑チェック

 西日本新聞販売店の子として生まれ育った。小学校四年の時担任の先生から「新聞を読んでるそうね」といわれうれしかったことを覚えている。店主だった父親は西日本新聞を扱っていることに誇りを持っていた。子の私にも伝染し今でも西日本新聞への思いは格別だ。
 その思いゆえの辛口批評を、こだま欄投稿の形で昨年暮れから続けてきた。自分でもしつこいなあと自嘲するくらいの回数になった。端から見れば、愛するがゆえのストーカー的言辞を弄するひねくれ者と写るかもしれない。
 いつも教えられることの多い浜矩子同志社大教授の西日本新聞オピニオン欄の文章に、今回(二十五日朝刊)は励まされた。そのいうところは、見出しのとおりズバリ〈愛ある小姑チェックが必要〉である。〈一番、言われたくないことを言う〉のがキモのようだ。
 〈徹底的小姑と化す〉のは〈なかなかつらい〉が〈これぞ至高の愛だ〉と浜教授は文を結ぶ。自らを嘲ることなく至高の愛を貫こう。

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞25日朝刊

雑文(こだま投稿)  4月21日

    国際救助活動
⑩サムスンの快進撃、オリンピックでのメダル獲得競争の好成績など韓国の躍進はめざましい。だが今回の客船沈没事故に伴う信じがたい事実の連続に、韓国人は自信をなくしたのではなかろうか。西日本新聞は関連記事の見出しに〈「三流国家」国民嘆き〉とつけた。
 日本のすばらしさを改めて認識した人も多いはずだ。自衛隊の救助活動の水準の高さ、町の消防団員のボランティア精神、それらを保守し維持してきた日本という国の文化力、経済力、政治力は誇っていいのではないか。
 隣国で事故があると、私はどうしても年来の思いである自衛隊を国際救助隊に改組すべきという考えに行き着く。慰安婦問題や靖国参拝など韓国の日本を見る目は厳しい。怒りから理不尽な行動に発展することもある。だが対立ではなく文化力経済力を発揮すべきだ。
 救助隊がさっそうと現場に駆けつけ高校生たちを見事に助ければ感謝と讃辞が沸き、東アジアの平和の枠組み作りも一気に加速する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞21日朝刊

雑文(こだま投稿)  4月20日

    安全保障と原発事故
 集団的自衛権に安倍首相は執念を燃やす。国民の命と安心を守るのが仕事だから当然かもしれない。私にはしかし、偏りを感じる。
 日本には国の根幹を脅かす脅威が少なくない。大規模自然災害、他国からの軍事攻撃、経済破綻などである。福島の現実が示すように原発事故もその一つに加わった。為政者はまずは未然防止に全力を尽くすべきである。不幸にも発生したときのために万全の危機対応策を策定し、もし起きれば人・物・金を投入し被害を最小限にとどめる力が求められる。
 首相が防衛に力を入れるのは、中国の軍拡や北朝鮮の予測不能な動きがありやむを得ないとは思う。だが、戦争は起きる可能性が高いと自衛権を拡大し、一方原発事故は起きないと強弁し再開を急ぐのはご都合主義すぎる。 現代の戦争は起きると東北大震災を越える人的物的被害をもたらす。起きる心配ではなく起こさない努力こそが首相の最大の使命ではないか。起きる心配をすべきは原発事故だ。
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞10日朝刊

雑文(こだま投稿)  4月18日

    健康づくり+地域の絆
 月一連載の「熟年世代のあんしん塾」を、該当年齢なので参考に毎回読んでいる。十七日朝刊のテーマは「空き巣ねらい」であった。発生するのは深夜から昼間が多くなり、具体的には午前十時~正午と午後二時~四時だという。明示されれば有効な対策も出しやすい。
 今多くの地域で子ども見守り隊というのが作られていて通学路の巡回などの活動をしている。あるいは老人クラブで空き缶集めの活動をしている。地域で活動するそれらのグループがそれぞれ時間を分担しあって空き巣の集中する時間帯に地域を散歩する。防犯対策は犯罪者の側に立って困ることを考えれば自ずと分かると執筆者の安田さんはいう。時間に余裕のあるリタイア組が空き巣ねらいの稼ぎ時に目を光らせば抑止効果は絶大だろう。 高齢者が増えるのを嘆くより活用する視点に立つ。犯罪予防にとどまらず、自らの健康づくりや一人暮らしの高齢者の安否確認などのプラスαも期待できる。地域の絆も深まる。
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞10日朝刊

雑文(こだま投稿)  4月11日

    日韓協調態勢の魅力
 差別が悪いことは誰もがわかっている。だが頭ではそうでも人は、差別の迷路に陥ってしまう。自分より劣る人がいると思いこんで安心したいからだろう。私の中にも韓国の人への差別心が巣くっていて、ことある度に頭をもたげてくる。小学生時分から父親の韓国をバカにする言葉を聞き育ってきたからだ。
 西日本新聞十一日朝刊オピニオン欄で朴教授は〈北東アジア全体の平和と安全を視野に入れた協調関係の構築が求められている〉という。しかし目下両国は、協調どころか反目しあっている構図だ。協調すれば世界の安全保障に貢献できるのに互いに力をそいでいる。
 ネトウヨとかヘイトスピーチとかが話題になっている。若いときに生じた隣国差別は私がそうだったように、しぶとくその人の意識の中に生き残ると危惧する。そうなると日韓協調態勢構築の大きな阻害要因となる。経済では世界の優等生となった日韓両国が安全保障の面でも存在感が出せるのにもったいない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞10日朝刊

雑文(こだま投稿)  4月10日

    実物を見ずに
⑥STAP細胞を論じる十日社説に、この問題の本質は〈細胞が本当に存在するか否か〉とある。本当にそうだ。今にして思えば不思議な話で、世紀の大発見と報道されながら、報じた報道人の誰一人として発見されたとされる細胞の実物を見ていなかった。たとえは悪いが、死体が発見されてもいないのにオバマ大統領が暗殺されたと報じるようなものだ。
 私は今回の騒動の教訓は、きわめて高度な専門領域の動きについて報道機関の対処の仕方はどうあるべきか、にあると思う。たとえば、日本の国民に多大な影響をもたらす「米中の世界戦略の動き」は、極めて専門的な知識と情報を有している人にしか分からない。内閣調査室などの専門機関が「急を要する情報で国民に早く知らせねばならない」と発表する、だが真偽はつかめない、どうするか。
 新聞テレビなどの報道からその危機感が伝わってこないのが解せない。特定秘密保護法には神経質になるが、重要さはこっちが上だ。

 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞10日朝刊

雑文(こだま投稿)  4月9日

    家族葬
 生活欄の「比呂美の万事OK」を久しぶりに読んだ。評判の高いこの人生相談を私が敬遠するのは、私より年下の伊藤氏が深みのある人生訓をさりげなく示し、自分との隔たりの大きさを読む度に痛感し愕然とするからだ。
 さはありながら今回のテーマが今の私の関心事である家族葬だったので参考にしようと読んだ次第である。伊藤さん自身が両親の葬儀を〈迷信も習俗もなくてすがすがし〉く簡素に営んだというのもなかなかに説得力がある。「虚飾を排して」なんてかっこよくいいながらいざとなると腰砕けになる人が多い。何より〈気にしない人はしないけど、気にする人はすごくするのが、この問題です〉との指摘が新鮮でかつ教えられた。「何でそんな些末なことに悩むのか」といったことが人によっては天下の一大事なのだ。我を通さず、しかし信念を持って私の葬儀を遺言しよう。
 回答しながら〈つらつら考えてみると〉と自ら思索を深める伊藤さんはやはり素敵だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞8日朝刊

雑文(こだま投稿)  4月8日

    政治家の陥穽
 猪瀬氏に続き渡辺氏も政治生命が怪しくなっている。多額の金を受け取ったのだから政治家として弾劾されて当然だ。が、汚い金を手にしたから葬るだけですませていいのか。 政治家として飛び抜けた能力を持っていたからこそ、二人は知事や政党の代表になったはずだ。かつての自民党の派閥領袖は、金を配ってなんぼのものだった。その政治文化が払拭できないまま、党代表なら配下の政治家に選挙資金を配って当たり前という政界の常識はまだ生きているのだろう。そういう政治文化を絶たない限り、優秀な政治家が次々に金で政治生命を奪われる。政治の力に期待する者ものとして残念だしやりきれなく思う。
 政治家が会合に出てきたら金を包んで当たり前と私たちもついつい思いこむ。清濁あわせ飲むという言葉も好きだ。そんな私たちもまた日本の政治風土を作っている一員なのだ。
政党助成金と正当な寄付金だけで政治を担うことができるような日本に早くしなければ。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞8日朝刊

雑文(こだま投稿)  4月2日

    共同通信の反省
 STAP細胞発見の記事を配信した共同通信が誤報の背景を検証し反省した「報道の経過」を発表したことを、西日本新聞二日朝刊で知った。〈取材は尽くしたつもりですが、真偽を十分に見極めることに限界があった〉と非を認めた。この姿勢は立派だと思った。
 だが、疑問も残る。信頼できると判断した理由として〈英科学誌「ネイチャー」に掲載される〉を挙げる。ならば次回からは「ネイチャー」といえども信用できないとするのかが定かではない。また〈日本有数の研究拠点である理研チームの会見〉を信頼した理由に挙げた。今回明るみにでた理研の欠陥は取材の時点では把握していなかったのか。さらに理研やネイチャーは今回のようなミスは初めてなのか、を検証してこそ再発防止策になる。
 失敗の最大の理由は、スクープを過大視する報道人の価値観にあると私は素朴に思う。IT時代の新聞の強みはスピードではなく確かな取材と分析で真実と本質に迫ることだ。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞2日朝刊

雑文(こだま投稿)  4月2日

    物価値上げはいいのか悪いのか
 四月一日から消費税額に加え公共料金のアップが始まり、一日、二日の西日本新聞は消費者側の立場に立った記事が多くなった。物価の動きに対して上がれば喜ぶ、そうでなければ憂えるといった調子の記事が続いていた。本来の姿に戻ったとホッとした思いである。
 しかしこうなってみると新たな疑問がわく。マスメディアは物価値上げを歓迎しているのか、否定しているのか、答えが見つからないのだ。さらに、「これ以上の節約は難しい」といった消費者の声を新聞は伝えるのだが、内需拡大の旗振り役をするのか、買い控えを推奨するのか、どっちなのかもわからない。 社会面を担当する記者は物価値上げを批判し、経済面担当の記者は物価が思うように上がらないのを困った現象ととらえ記事を書くといった不統一な紙面づくりでは困る。読者は混乱するばかりだ。グローバリズムの進展で経済は複雑怪奇になった。丁寧にわかりやすく伝えるのが新聞の使命なのではないか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞31日朝刊

雑文(こだま投稿)  4月1日

    ペダンティックで蟷螂の斧的喜劇
  著作が今人気の斉藤一人が〈講演をする人は自分がいかにすごいかを示したいために喋っている」みたいなことを書いていると彼のファンから聞いた。西日本新聞一日朝刊文化欄の二つのエッセイを読みその言葉が浮ぶ。
 山崎ナオコーラさんの、彼女の実家に手すりをつける作業を夫が引き受けたことからはじまる話は滋味深く示唆に富む内容だった。ナオコーラさんの優しい人柄や真摯に自分を見つめる姿勢が伝わってきて感動に近いものがあった。一方その横にあるペンネームが中洲次郎という人が書くエッセイはなんだか不得要領な感じを受けた。取り上げた小説のことを〈ペダンティックでかつ蟷螂の斧的喜劇である〉と評するのだが、一読して意味が分かる人はいないのではないか。ペダンチックを辞書で引くと〈学問のあることを見せびらかす様子〉とある。ますますわけが分からなくなった。難しい言葉を知っていることを見せびらかす文章か。まさにペダンチックだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞1日朝刊

雑文(こだま投稿)  4月1日

    あれもこれもからあれかこれかの時代
 〈九州自然歩道 危険がいっぱい?〉という見出しで〈安全確保が不十分な箇所が数多い〉と西日本新聞二十七日朝刊は報じている。
 自然歩道を最近利用して休息のためのいすの設置などよく整備されていると感じていたので意外だった。考えてみれば自然災害を伝えるニュースは頻繁だし、総延長二千キロを超えるコースなのだから当然といえば当然だ。
 この冬の登山で道に迷い大変な目にあった。そのときの恐怖を思えば安全で快適なコースを公的機関が責任を持って整備してくれるのは、とりわけ我々老人にはありがたい。安全な山旅ができるコースは、体力や判断力が劣る老人が登山を楽しむための最低必要条件だ。
 ここ二、三年、オルレというコースが新たに作られている。私は疑問に感じていた。せっかく九州自然歩道があるのだから、その整備拡充に税金は集中して投入した方がいいのではないかと思ったからだ。今回のように危険個所があるというのであればなおさらだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞27日朝刊