〈こだま投稿〉   3月30日

    相性のいい好連載エッセイ
 西日本新聞文化欄の連載エッセイは、執筆者が交代する時ワクワクドキドキする。読み応えのあるエッセイを書く執筆者だと分かると、実にありがたくうれしい。毎日楽しめるからだ。逆はがっかりし損した気分になる。
 山崎ナオコーラというふざけた名前の作家が今回の執筆者だ。その筆名ゆえに作品を読む気にならなかった。だけど連載エッセイなら別だ。購入費用はいらない。ただで読める。
 読み始めると実に面白い。どうしてナオコーラなんて名前を付けたのかとのくだりを読んで、この作家が好きになった。2回目3回目と裏切らない。エッセイを読んで愉悦を覚えるのは、作品の巧拙ではないようだ。自分との相性の良さこそ決め手だとつくづく思う。
 文面全体から漂ってくるユーモアがいい。ユーモアの極意は登場人物への底なしの愛情であり、自らの愚かしさへの熟知である。ナオコーラさんの、お連れ合いに対する愛情は広大無辺だ。だからほのぼの感が横溢する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞25日朝刊

〈こだま投稿〉   3月25日

    中小零細の苦しさは分かるが
 消費税の滞納問題を報じた二十五日朝刊の記事には強い疑問をもった。〈悪質滞納者は一握り〉と記事はいう。が、消費税の滞納はそれ自体が悪質だと私は考える。なぜなら税金というのは公権力がその絶対的な力を行使して国民の財産を取り上げるのであり国民は否応なく納めなければならず、事業者は一時的に国民の血税を預かっていて、それに手をつけていいはずはない性質のものだからだ。
 滞納だけでなく横領の罪をも犯している。税金として預かった金を運転資金に流用するなど許されない行為だ。中小零細だからやむを得ないともとれる記事は到底納得出来ない。
 円安株高の中にあっても中小零細企業が厳しい環境にあることは承知しているし同情もしている。しかしだからといって消費税滞納を許していては納税秩序はズタズタになる。 記事で紹介されている事業主のようにまじめにがんばったあげく倒産した例もあろう。だが、情緒的な記事ですますことではない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞25日朝刊

〈こだま投稿〉   3月23日

    隣人なのに
 西日本新聞二十五日朝刊一面トップに日韓首脳会議を伝える記事があり〈安倍、朴氏の就任後初〉という見出しに意外の感を覚えた。隣通しで歴史的にも文化・経済の面でも密接な関係がある両国の総理大臣と大統領がまだ一回も差しで会話を交わしていなかったのか。
 外交という高度に専門的な仕事のことは全くわからない素人の素朴な感想を言えば、そんなことで国と国の良好なつきあいができるのかというところだ。首相になれば隣国に就任あいさつにいくし、隣国に新大統領が誕生すれば表敬訪問にいくのは、「仲良くしよう、力を合わせよう」と思うなら当然のことだ。
 実現しなかった理由は記事によれば、〈歴史問題で日本が姿勢を変えることが前提〉とする韓国が会談を拒んできたからだそうだ。まるで子どもの喧嘩ではないか。韓国は日本の姿勢を変えるために、日本は姿勢を説明するために会うべきだ。アメリカという大人がお膳立てして会うという。「おい、おい」だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞22日朝刊

〈こだま投稿〉   3月20日

    異次元が効いたのは資産だけ
 異次元の金融緩和は資産家には恩恵をしっかりもたらしていると、十九日朝刊の〈「緩和マネー」躍る地価〉の見出しをみて思った。
 政権交代前後に八千円台だった株価が今では一万五千円前後になっている。ここ一年ほどで2倍にあがったということは、株に疎いのでよくわからないが、利率に換算すると年利百%ということになるのか。年率0・0何%の金利の預金しか利用していない身にはほとんど想像を絶する世界だ。さすが異次元だ。
 さらに不動産までも、緩和マネーは関係者に潤いをもたらしているのか。日本経済を底辺で支えている事務員、作業員、工員、職人、自営業者などに、その狂騒がかすりもしなかったのは今年の春闘結果が如実に示している。
 私は年金生活者だ。こんな泣き言を吐けば若者からひんしゅくを買おうがあえて書く。年金はわずかだとはいえ引き下げられている中で物価増・消費税増はたまらない。老若男女が手を取り合うために新聞は真相に迫れ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞17日朝刊

〈こだま投稿〉   3月18日

    鳩山沖縄県知事の誕生はおもしろそうだ
 細川元首相の都知事選出馬は泰山鳴動しただけに終わったようだ。日本の政治に新たな風が吹けばとの期待はあえなく散った。そこへ西日本新聞十七日朝刊に「鳩山氏に沖縄知事選打診」の見出しを見た。記事には「あり得ない」との元首相の言葉が紹介されている。
 常識的にはそうだろう。だが私は、このまま話が立ち消えになるのはもったいないと思った。ひょっとしたら日本の政治を動かす起爆剤になるのではないかと期待するからだ。
 日本の政治は非常に困難な条件に囲まれていて政治家はなにをやってもクソミソにけなされる。(安倍首相は例外だがそのうち容赦のない集中砲火を浴びるだろう)。政治らしい営みができるのは地域政治しかなくなった。かつ住民の関心を呼びそうな政治課題は無数にある。なによりも沖縄だ。首相経験者ゆえにもつ能力と経験を最大限使って政治機能を百%発揮してこれぞ政治だとの姿を鮮明に繰り広げてくれたら政治は変わるかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞17日朝刊

〈こだま投稿〉   3月17日

    性欲が一世代で変わるか?
 0歳と五歳の孫がいて幸せをかみしめている。しかし将来の日本人は孫をもてない人が増えそうだ。孫を持つにはまず子を持たねばならず、子を持つには生殖活動に同意してくれる異性が必要だ。一般に結婚という形をとる。だが今の男性はその機会を奪われている。
 草食化ということばが数年前から話題になっている。命名者の深澤真紀さんは肉欲にガツガツしない男性と肯定的に名付けたのに、いつのまにか恋愛や性行動に消極的なだめ男を指すようになった。命名者に失礼な話だ。
 今の若い人の男女交際はおおらかだ。中高生が町中でも平気に男女二人っきりで歩いている。我々の若いころにこんなことをしようものなら学校中に噂が立った。つまり今の若い人というのは男女関係の熟達の人たちだ。
 本紙十六日朝刊に〈草食化「進行」〉の見出しが載った。出発点が違う。草食化を、性欲がないから結婚できなくて当然と免罪符にしてないか。結婚の選択権を保証すべきだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞16日夕刊

〈こだま投稿〉   3月16日

    反省すべきは新聞だ
 STAP問題の迷走は心が痛む。結果論を承知で書けば、今回の研究成果を大々的に報じる一月末の新聞記事に接して違和感を覚えていた。これほどの大発見が何の前触れもなく一面トップ記事になったからだ。すごいことだけど大丈夫かと不安をもった。論文に疑問が出てからの報道には、やっぱりかと落胆もしたが早めに明らかになってほっとした。
 で、こうなってみれば問題は新聞報道のあり方だ。理化学研究所を批判できる立場なのか。大発見と報じた当時、マスメディアは報道の基本である「裏をとる」という作業を全くしていないとしか思えないからだ。世紀の大誤報と批判されて返す言葉があるのか。編集局長は責任をとって身を引くほどの大失態である。紙面にはその反省がみじんもない。
 政府や企業の発表をそのまま伝える「発表記事」という手法が当たり前になったことの当然の帰結といえる。調査報道こそ本来の姿ではないか。新聞人に厳しい反省を迫りたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞15日夕刊

〈こだま投稿〉   3月12日

    高水準の賃上げ回答?
 〈大手ベア高水準妥結続々〉という見出しの西日本新聞十二日夕刊記事には笑ってしまった。主要企業の春闘回答が2千円なのだと記事は報じる。高度経済成長時代の春闘を知る者にとっては冗談としか読めない。平均月収が三十万円なら1%に満たない賃上げ額を高水準と表現する時代になったのか。政府・日銀は物価2%増をめざしているから実質賃下げである。この記事に〈大企業の景況感が最高〉という見出しが続き念が入っている。
 「給料あがるから家族に外食でも奮発するか」と思っても一人分の額がやっとではないか。小さな事業所は賃上げはなく物価高と消費税アップのダブルパンチをまともに食らう。
 一万円二万円と給料が上がるから消費に勢いがつく。二千円など雀の涙だ。我々は大概で気づくべきだ。収益増→賃上げ→消費増という循環は過去のものになったことを。最高の景況感でこれだ。評価の高い安倍政策の効果は労働者や年金生活者までおりてくるのか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞12日夕刊

〈こだま投稿〉  3月12日

    日本語のすばらしさを学校で教えてくれ
 主語に無頓着な日本語は論理性がないと卑下してきた。飲食店で「私はカレー」で通じる日本語って知性が劣ると思わされてきた。 日本人は「今何時」と聞かれれば「5時」と答えればすむ。これが英語では「イト イズ セブンオクロック」と主語を無理矢理くっつけねばならず面倒きわまりないとあるジャーナリストが書いていた。日本語は日本という社会の有り様を反映して論理的な言葉なのだということだった。劣等感が薄らいだ。
 西日本新聞朝刊にはパリに住む作家が連載エッセイを寄稿している。(アルガママニ)。感受性が豊かで観察眼が鋭い人が異国に住んで日々のできごとをつづる文章は時にはっとすることがある。十日のエッセイには〈日本語は主語がなくても通じる、世界でも珍しい、つまり非常に高度な言語である〉とのくだりがあった。愛国心というか誇らしさが沸々とわいてきた。愛国心教育よりも、こんんなことを学校で教えてくれればいいのにと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞10日朝刊

〈こだま投稿〉   3月2日

     ヒト・モノ・カネの順番に忠実か
 二十八日朝刊のオピニオン欄、浜矩子教授の「ヒト・モノ・カネが正しい順序」と題した文は示唆に富んでいた。経済の営みはヒトこそまず主人公なのに、経済活動を円滑に効率的に進めるための道具でしかないカネが主人公面してのさばりすぎている、といった趣旨だと私は理解した。〈カネは、元来、黒子だ〉という浜教授のたとえは鮮やかである。
 カネのために私たちの生活はかき乱される。その背後には金融工学とかグローバリズムといった流れがある。普通に生きて暮らしているヒトには別世界の、想像も及ばない、わけの分からないカネの動きに生殺与奪を握られている感じである。何とかしなければと思う。
 日々の新聞報道に接していてもヒト・モノ・カネの順序がおかしいと感じることがある。たとえば物価が上がることがさも善政みたいな論調が紙面に登場する。これから新聞には、記事の内容や紙面の構成がヒト・モノ・カネの順番になっているかという観点で接しよう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞1日朝刊

〈こだま投稿〉   3月2日

     新聞が地方議会に肉薄すれば
 長崎県議会が通年議会の廃止を決定した。(西日本新聞二十八日朝刊)。これを勇気ある撤退ととらえるのか、迷走と批判するのか。
 地方分権の動きの底流にあるのは、政治課題の軸足が国政から地域政治に移ったという時代の流れだ。社会的インフラがほぼ整ったことや高齢社会の進行がその背景にある。たとえば高齢化に伴う介護や医療や福祉の分野を担うのは国の政府よりも地方政府こそふさわしい。だから地方分権の推進が求められる。
 県や市や町の議会の使命は大きい。予算や条例や政策を審議決定して、地方政府に求められている政治課題を解決前進させるのが議会の仕事だからだ。だが議会の存在感は薄い。
 議会と市民のパイプ役がいる。新聞の出番だと思う。現状は議会の動きを報道する記事があまりに少ない。地域の議員の活躍が紙面にあふれる新聞になってほしい。議会が制度をいじくるだけでは長崎県議会の二の舞を演じるだけだ。議員の質の向上こそ王道である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

このテーマは、3日の朝刊社説でも論じられました。

 

西日本新聞切り抜き
西日本新聞1日朝刊

〈こだま投稿22〉  2月27日

     ランナー冥利のコース
 初期の頃の福岡シティマラソンを走ったことがある。なんだか一流のランナーになったようで気分がよかった。日頃は自動車が占拠する福岡市の中心の広い道を、警察はじめ多くの人のおかげで思う存分走ることができるのは非常な快感であった。だから二十七日朝刊の「福岡マラソンの詳細コース発表」記事のコース図を見てほんとうにうらやましく思った。〈都市と自然がコンパクトに共存する福岡ならではのコース〉と記事がいうように魅力に富む四十二キロちょっとを、車をシャットアウトして走ることができるのは、まさに長距離ランナー冥利に尽きよう。往復でなく片道コースなのだから豪勢きわまりない。
 フルマラソンどころか十キロも走れない老人には遠い世界のことだが、こんな世界に誇れるようなコースを年に一回くらい全面開放し、福岡糸島かち歩き大会開催となれば、私も一念発起したいし、世界から人が集まり名物イベントになるのではないか。英断を待つ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞27日朝刊

〈こだま投稿21〉   2月26日

     争点隠しの手品
 狐につままれたようなとはこのことか。二十六日朝刊のエネルギー政策に関する記事を読んでそう思った。記事は次のように伝える。都知事選で自民党支援候補が「原発即時ゼロ」を訴えた候補者に大勝したから政府は「原発推進のお墨付きは得てい」て強気だと伝える。そんなバカなとあきれてしまう。都知事選の争点にふさわしくないと主張し、選挙期間中は争点隠しに努めた自民党が、信任を得たとうそぶくのはとんでもない話だ。選挙という制度をそこまで愚弄するかという思いを抱く。 政治家というのは何でもありだから、こんなことに驚くのは大人げないのか。百歩譲って政治家はまあいいとして問題は新聞報道のあり方だ。原発推進について白黒を決する場ではないですよといいながら、勝ったら白黒決着したから推進しますというやり方の是非を新聞はいっさい追及しようとはしない。読者はこれでいいのかと判断することになる。民主主義の要の制度である選挙が空洞化する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞26日朝刊

〈こだま投稿20〉  2月25日

     水ぶくれ気味か
 先日聴講した講演会で戦前の新聞が紹介されていた。全部で四ページのわずかなスペースに先人たちは森羅万象を詰め込んでいる。紙は貴重であり印刷技術も未熟だったのか。
 現在では一桁多いページ数である。多種多様な記事が紙面を飾っている、ともいえる。が、水ぶくれ気味と感じてしまう。日曜日ということもあるのだろうが二十三日朝刊は三十六ページ中十三ページを全面広告が占める。スポーツ欄が六ページ、テレビラジオ関連が四ページもある。株価欄など興味を全くそそらないページも数カ所ある。記事に軽重優劣はないとはいえ、新聞らしい記事は少ない。
 新聞はインターネットの隆盛で苦況にある。だが自ら首を絞めていると私には映る。新聞制作者は読者の立場で新聞に目を通しているのだろうか。全面広告を廃止しろとはいえない。おかげで四千円弱の購読料で毎朝毎夕宅配してもらっている。だがこのままでいいと考えているのなら報道人としての感性を疑う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

〈こだま投稿19〉  2月23日

     ストーカー殺人を防ぐには
 群馬県で、二十六歳女性の射殺死体が発見されたのはの十九日午後三時、新聞は二十日に第一報を載せる。記事の中身はすべて警察発表であり、翌二十一日記事も記者が独自に取材した形跡はない。警察情報だけで仕上げた。
 被害女性は別れた男性にしつこくつきまとわれていた。典型的なストーカー殺人事件の可能性および警察の組織的対応の欠陥の可能性が、きわめて高いと想定される事件である。
 警察組織の不十分な対応によるストーカー殺人が繰り返されてきた。被害者の恐怖、家族の悲嘆をもたらす犯罪は許し難い。なぜ未然に防げないのかを究明する責務はひとえに新聞はじめマスメディアにある。初動の段階で警察とは一線を画し独自に取材をし、真相究明、ひいては二度と悲劇を生まない態勢づくりに寄与することが問われている。責務というより、それは新聞という報道機関が持つ力であり、インターネットに押されがちな新聞の力強い反撃の姿だと思う。頑張ってくれ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞21日朝刊

〈こだま投稿18〉  2月19日

     現読者の満足が先決
 知り合いの新聞販売店主が、新しく売り出された住宅団地では新聞読者が皆無に近いと言った。新居取得者は三~四十代のインターネット世代だからさもありなんと納得する。
 主権者である国民が政治に関わる時、もっとも頼りとするのは新聞である。インターネットはしょせん、新聞の取材力に依存しているにすぎない。新聞がなくなればたちまち干上がる。人々が政治に参画する基盤となる言論空間を維持する決め手は新聞なのである。
 十八日の本欄「新聞と私」は投稿者の新聞への讃辞で埋まった。しかし私は、現愛読者との蜜月を誇るよりも、インターネット世代が目を向けるような紙面作りが先決と思った。
 前出の新聞販売店主が、〈未読者にこびを売るよりも、現愛読者がさらに満足するような紙面作りをして、彼らに新聞の良さを伝えてもらうことを追及すべき〉という中日新聞小出社長の言葉を紹介してくれた。現愛読者の評価こそが出発点なのだと気づかされた。
 
 
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞18日朝刊

〈こだま投稿18〉  2月19日

     集団的自衛権は違憲審査に耐えるのか
  「改憲解釈」をテーマにした十九日の本紙社説に違和感を覚えた。公務員は憲法の定めに則って仕事を進めなければならない。首相は憲法尊重をもっとも求められる立場である。
 彼が憲法に違反する行政をした場合、あるいは誤った憲法解釈をして行政を進めようとした場合、誰が歯止めをかけるのか、それこそがまさに三権分立いう制度である。裁判所に違憲審査権があることで為政者の暴走を防ぐ。内閣法制局というのは裁判所の最終判断を受ける前に、事前に点検する役割を担っているに過ぎない。政府があまりに何度も裁判所の違憲判決を受ければ政治秩序は崩壊する。それを防ぐために法制局はある、と私は思っている。たとえは正確ではないが、法制局長官は毒味役でしかない。名が表すとおり内閣法制局長官は内閣総理大臣の部下なのである。
 社説の論調だと、三権分立制度での極めて大きな司法の役割と法制局のそれとの関係が曖昧になったり誤解を生まないかと危惧する。
 
 
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞19日朝刊

〈こだま投稿18〉  2月17日

       原発の歴史の転換点
 十六日の本紙読書欄に〈「洗脳」戦略に基づいた一方的な主張、巧妙な構成、安全性と必要性を強調する表現を告発〉しているとして「原発広告」という本が紹介されていた。
 そういえば、と気づいたことがある。福島の事故以来、原発広告というのがすっかり影を潜めたのではないか。原発推進派が盛り返している。なぜ広告を再開しないのだろう。
 分かるような気がする。原発広告には良識派と目されている文化人が登場し安全性や必要性を説いていた。広告の効果を高めるために彼らの効用は大きかった。私もその気にさせられた一人だ。しかし、あの事故以来ふつうの神経を持っている人は広告に登場することはためらうだろう。絶対安全だと信じたからこそお先棒を担いだのだ。結果は無惨だ。
 都知事選の結果など脱原発の旗色はくすみがちだが、原発容認の世論づくりに大きな力を発揮した広告の衰退という事実は、歴史の潮目が確実に変わっているという証左なのだ。
 
 
 
西日本新聞切り抜き
西日本新聞16日朝刊

〈こだま投稿17〉  2月16日

       手軽に和食の神髄を楽しむ
 十五日生活欄の「煮干しだし」の作り方は参考になった。煮干しの頭とはらわたを取り除く理由が「頭はうまみがない、はらわたは苦みがある」と明瞭に分かりありがたかった。 疑問が新たに生じた部分もある。用意した煮干しをまず水に二十~三十分浸すとある。なぜ浸すのか、その理由が省略されている。次に着火した後、魚のにおいがこもるからふたはしないと説明がある。理由が明示されている分いいのだが、ひごろふたをしている私は魚のにおいを感じたことはない。ここは省エネ優先を続けたい。「灰汁を取りながら」とある。アクってどのこと?わからない。全体を通して、作業が面倒すぎるという印象を持った。共働き夫婦は二の足を踏みそうだ。
 それでは和食のキモであるうまみ文化を享受できない。いい加減なやり方でだしをとっている私のみそ汁は、私にとって世界一美味しい。誰もが手軽にはじめられるように、今度はいい意味の手抜き方法を解説してほしい。
 
西日本新聞15日朝刊
西日本新聞15日朝刊

〈こだま投稿16〉  2月12日

  自ら首を絞めるなんて

  不安を増幅しかねない「赤字転落に現実味」との見出しで、経常収支の動きを報じる記事が十一日朝刊に載った。なんだかわけが分からない。トヨタが最高益を出したとか、安倍経済政策は功を奏したような報道があり、だったらその結果として経常収支の黒字基調はさらに進展するはずなのに真逆の動きである。
 最大の要因は火力発電の燃料の輸入額が原発の停止に円安も加わって膨らんだためと、解説記事はいう。ますます分からなくなる。円安狙いの政策は原発事故後に進められた。政府が先頭に立ち自らの首を絞めていたのか。
 そもそも、とどうしても考えたくなる。日本は高い金を出して化石燃料を買い、発電し、その電気で世界に誇れる高水準の工業製品を作り、世界の人々を楽しませ利便を与えている。ところが肝心の日本の国民は、働けど働けど財政赤字にとどまらず国際収支まで怪しくなる。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。アベノミクスなどと浮かれていてよいのか。

西日本新聞2月11日朝刊
西日本新聞2月11日朝刊

〈こだま投稿15〉  2月10日

西日本新聞2月10日朝刊
西日本新聞2月10日朝刊

   政治の季節へ

 脱原発候補の票二人分を合わせても舛添さんの票に及ばずという都知事選結果になった。原発のない世をより早くと願うグループには衝撃的な数字であろう。だが、絶望はダメだ。
 核廃棄物は既にとり返しのつかない規模にたまっている。不謹慎に聞こえるかもしれないが、一年や二年廃炉が遅れたところで大勢に影響はない。十年単位の持続的な活動が問われているのだ。そのうちに地震や火山爆発やテロが原子力発電所を襲い、福島か福島を越えても、自らの愚かさを反省しつつ受け入れるしかない。選挙権もなく、さあ人生はこれからだという若い人には本当に気の毒だが。
 安倍首相は思う存分、信じる道を突き進むことになる。首相のエネルギー政策だけでなく国家観、安全保障政策に危惧を覚える人も少なくなかろう。だがいい面もある。靖国参拝が示すように様子見だった首相は、その政治信念を鮮明にしてくる。政治争点が明確になり、有権者の政治への関心は高まるからだ。


〈こだま投稿14〉  2月10日

西日本新聞2月4日朝刊
西日本新聞2月4日朝刊

  テレビへの再登板に期待する

 橋下大阪市長には「交渉術」を説く優れた著書がある。現役時代、説得が仕事だった私は、本から具体的な交渉術を学び仕事に大いに役立った。だから彼に非常に感謝している。
 政治の世界に打って出た橋下氏は、その歯切れのいい言動で有権者から支持を得た。大きく固い旧弊に挑んで大向こうを唸らせた。交渉術の恩師である彼に私も期待した一人だ。
 国政の中枢にまで切り込む勢いだったものの、好事魔多し、慰安婦問題で大きくつまずいた。さすがの彼もアメリカの、建前に拘泥せざるをえない歴史と現実に思い至らず墓穴を掘った。政治家としては消えていくだろう。
 交渉術の本に気になる一節があった。公務員との交渉は埒があかないので暴力団を使うしかない、といった趣旨を書いていた。後知恵ということになろうが、政治家橋下徹の欠点は、目的のために手段を選ばないことだ。それでは真の改革はできない。彼はやはりテレビこそふさわしい。再度の活躍を期待する。


〈こだま投稿13〉  2月7日

  甘えすぎではないか

 「NHK経営委員の言動が波紋を広げる」との6日朝刊記事を読んで気色悪さを覚えた。
 私も若い頃は自分の考えと異なる主張にとんがっていた。だが引退した今、人それぞれに信じることは様々なのだということが分かり、異なる主張もゆったりと受け止めている。だから、新聞社で抗議の気持ちを込めて自死した人を評価し褒め称えるのも、一つの考えであり批判を差し控える。天皇が今でも現人神というのも卓見かも知れないとは思う。考えの違う都知事候補を罵倒するのもありだ。
 だがNHKの経営委員はバランス感覚というのをもっとも問われる立場ではないのか。角が立ちそうなことをいいたいのなら委員になるべきではなかった。第一、二人は学者と作家なのである。経営委員という権威に頼らずとも自ら信じることを在野で思う存分表明できるしすればいいのだ。恥ずかしくないのかと罵倒したくなる。安倍政権の人気に乗じ奢るな、いや、甘えるなとさえいいたくなる。

西日本新聞6日朝刊「NHK経営委員」
西日本新聞6日朝刊「NHK経営委員」

〈こだま投稿12〉  2月4日

  労使双方ともに後一つ

 春闘本番が近づき労使の代表にインタビューした記事が本紙四日朝刊に載った。なんだか無責任だという印象を持った。〈歴史的な春闘になる〉と古賀連合会長はいう。〈景気は回復局面にあ〉るからというのがその理由である。小泉政権時代にいざなぎ景気越えといわれた七年間の景気回復の期間、労働組合は負け続けたことの反省がない。企業の業績がよかったにもかかわらず賃上げを勝ち取ることができなかった理由を明らかにしない限り〈歴史的な春闘になる〉といわれてもむなしい。北風が吹き続ける労働組合のトップとして困難さは分かるがしっかりしてほしい。
 使用者側の代表も〈国の政策にも期待したい〉と無責任さが漂う。〈経済の好循環のスタートは企業の業績改善が続くこと〉ともいう。賃上げはしないと同義だ。景気は上昇と下降があるのがふつうで続くものではない。 いずれも勤労者貧乏(ワーキングプア)の境遇にいる人には希望を与えるどころか‥。

西日本新聞4日朝刊
西日本新聞4日朝刊

〈こだま投稿11〉  1月30日

西日本新聞こだま欄1月30日
西日本新聞こだま欄1月30日

  沖縄基地問題、分からないことが多すぎる

 三十日こだま欄の〈「基地いらぬ」民意を直視せよ〉を読んで、沖縄基地問題の難しさを思った。難しさの理由は幾重にも錯綜する利害関係がつまびらかにされていないからだ。
 「沖縄経済は基地に依存していない、宏大な基地がなくなれば経済的に自立できる」というのはそのとおりだろうが、現に基地があって、そこで職を得ている人にとっては基地の去就は死活問題である。確実な賃貸収入を得る基地の地主にとっても、手放したくない既得権であろう。さらに複雑なのは政府からの補助金に食らいつく利権集団の存在だ。いや、利権集団の有無の情報も伝わってこない。
 爆音に日常生活を脅かされ、軍用機の墜落事故や米軍兵士の暴走の恐怖にさらされる人たちには国の金の恩恵は行き渡らず、無駄な公共事業ばかりが施されている恐れもある。
 あまりに情報がないから私は答を見出せない。ブロック紙西日本新聞の使命は大きい。現地取材を充実して謎を解きほぐしてほしい。

〈こだま投稿10〉  1月27日

西日本新聞1月27日朝刊
西日本新聞1月27日朝刊

  暮らしに肉薄

 二十七日朝刊が伝えた全国世論調査の記事に、景気を世論がどう見ているかが載っていた。七十三%が「景気がよくなったと実感していない」と答えたそうだ。ふつうの人たちの感覚はそういうところだろうと納得する。
 一方で新聞は、日銀短観を報じる時、たとえば十二月短観では〈大企業から中小企業まで幅広く業況が改善、製造業・非製造業ともにプラスとなった。〉と書く。〈中小企業非製造業の景況感がバブル期以来のプラス浮上〉との表現さえ出てくる。どちらが正しいのか。
 人は悲観的に見がちだから「景気がよくない」と答える人が多いのは分かる。しかし安倍経済政策のキモは、異次元の金融緩和で消費者である国民に景気が沸騰すると期待させることではなかったか。だとすれば、この世論調査の結果は安倍経済政策の失敗を予兆する数字となる。政府や日銀の発表をそのまま報道するのでなく新聞は、現場に分け入り取材し分析し日本経済の実相を報じてほしい。


〈こだま投稿9〉  1月24日

   週刊誌の宣伝に魂を奪われる

 新聞を読んでいてどきっとすることがある。時間をかけて熱心に読んでいるのが週刊誌の宣伝欄ということが間々あるからだ。興味をそそるという点で新聞本来の記事より上だ。
 週刊誌は社会性重視よりも興味本位、一方新聞は社会的使命を果たすために堅い記事も載せざるを得ない。新聞は信頼性こそ命だから十分な裏をとって正確な記事を書く。週刊誌は正確度については少々荒っぽい。おもしろさでは週刊誌に軍配が上がることとなる。
 しかしそれだけではないようだ。たとえばある月刊誌に覆面記者座談会という連載がある。毎回おもしろい。かつ世の中の動きは裏事情を知ることによって腑に落ちることが多い。新聞はこの裏事情をいうのをなかなか書かない。小泉元首相がなぜ脱原発かといえば石油メジャーと関係しているからだなんていう週刊誌情報は真偽は別としておもしろいしさもありなんと納得させられる。記者なら知っている裏事情をなぜ新聞は敬遠するのか。

〈こだま投稿№8〉  1月20日

   日中関係は何とかなる

  十七日オピニオン欄の佐々木教授論文〈第一次大戦を考える アジアの「力の過剰」の行方は〉は、軍事力を強化する中国の動きがはらんでいる怖さを衝いていて参考になった。第一次大戦は〈力の過剰」状態にあった(欧州の)国々が互いに始めた自殺行為〉という。中国が軍事大国化し、それに刺激され日本も追随する。そうなればアジアに〈力の過剰状態〉が生じ〈妥協型政治に慣れたリーダーにはそれを止める覚悟も力量も〉ないと読める。
 暗澹とした気分になった時、十九日の提論で藤本由香里准教授の〈歴史認識すり合わせを〉と訴える文章を読んでほっとした。平和維持装置としての「歴史面での相互理解の整備」の重要性がよく分かる。〈近隣国との安定した関係が繁栄に欠かせないドイツにとって、過去の直視は紛れもない国益〉というドイツの歴史家の言葉も腑に落ちる。第一次大戦時と違い今は国を越えての行き来は頻繁だしITという相互理解の道具も完備している。

1月19日朝刊
1月19日朝刊

〈こだま投稿№7〉  1月17日

エネルギー政策を都民だけに任せていいのか

 自然素材を使い住み心地満点の家に暮らし良好な隣近所との関係で日々を送っている。平和な国日本にいてありがたい。一方、放射能汚染で仮住まいを余儀なくされている20万人の福島県人の存在がある。だから私は、どんな理由があろうと原発推進は認めたくない。
 安倍首相が前のめりともいえる原発推進の姿勢をとる中、元首相二人がタッグを組んで脱原発を掲げ都知事選を戦う。本当に力強いことではある。が野田自民党総務会長の、郵政民営化・政権交代に続き今また脱原発で翻弄されるのはやりきれない、との言葉も重い。
 脱原発候補が勝ったところで、あの大事故でも方向転換できないエネルギー政策を果たして変えることができるのか。私は東京都民のこれまでの都知事選での選択に危ういものを感じている。負けたらどうなるのか。次期参院選までの2年半、安倍政権の原発政策にお墨付きを与えることになる。こんな大事なことを東京都民だけの選択に任せていいのか。

西日本新聞1月15日朝刊
西日本新聞1月15日朝刊

〈こだま投稿№6〉  1月13日

西日本新聞11日朝刊
西日本新聞11日朝刊

◇ 朗報は多いのに

 北九州市での、暴力団と思われる発砲殺人事件の多発と、さらに犯人を捕まえることができない福岡県警という構図に、法治国家日本は大丈夫かと心配になっていた。捜査の進捗状況は新聞からなかなか伝わってこない。
 西日本新聞十日朝刊に、工藤組の組織縮小の記事が載った。これはすごいことである。福岡県警はやはり優秀だという認識を改めて持った。ところが記事は見過ごしてしまいそうなところに目立たなく割り付けられていた。
 一面トップ記事として扱ってもいい朗報だと私は思う。さらに首をひねることが二つ続く。「殺人事件が戦後初めて千件を割った」というニュースが、ウェブ記事には載ったが西日本新聞本紙は無視したことが一つ、後一つは飲酒運転の減少を伝える記事の扱いも非常に小さかったことだ。これらの明るいニュース、関係者の努力と工夫で改善の方向に進んでいる事実をなぜ新聞は大きく伝えないのか。不安を煽る記事の比重があまりに高い。

 


〈こだま投稿№5〉 個別から集団自衛権へ 1月10日

 消費増税のテーマ特集を読んでさすがと思った。年寄りは日本が貧乏な時代を生きたから節約には自信がある。だが、掲載された全員が消費を控えると決意したわけで、安倍首相は愕然だろう。異次元と称する大胆な金融緩和でデフレマインドを克服しつつあると喜んでいたら自らの判断で決めた消費税アップのために元の木阿弥どころか泣きっ面に蜂。
 戦後の困難な時期に必死に働いてきた人がやっと余生を楽しもうという時に爪に灯をともすでは報われない。しかし金を使わず残しておこうという気持ちも分かる。介護・医療・年金などの社会保障の行方は心配だからだ。
 個別に老後の生活を守ろうとしても限界がある。みんながきちんと消費し生活を楽しみつつ、個に埋没するのでなく全員で力を合わせて社会保障制度を充実させる。生活の場面でこそ集団的自衛権を行使しようと安倍首相は呼びかけるべきなのだと思う。福祉拡充に尽力すると言えば政権基盤はさらに強まる。

〈こだま投稿№4〉 新聞は読みづらい 1月8日

 昨年暮れの紙面改革で始まった「政治・内政アラカルト」(朝刊5ページ下段)欄は本当にありがたい。読者としてもっとも新聞に期待するのは私の場合、政治の動きについての報道である。必要最低限の政治関係記事を一カ所にまとめている欄は実に便利である。
 かつては4ページだった朝刊は現在では30ページ前後になった。週刊誌大で換算すると百ページ超となる。目次が不可欠という紙面量である。たとえば週刊誌に目次がなかったらどうだろうか。不便きわまりないはずだ。
 新聞は徐々にページを増やしてきたから目次なしで済ませているが不親切すぎる。私は、見出しだけ読んだ場合の所要時間を計ったことがある。7分かかった。自分にとって意味のない紙面にも目を通さねばならないし、逆に大事な記事を見落としてしまう。新聞は忙しい現役世代を拒絶しているのではないか。
 政治だけでなく経済・社会・文化についてもコンパクトにまとめた欄を新設してほしい。

〈こだま投稿№3〉 運動は面白おかしく 1月2日

 地域おこしにしろ社会の有り様を変えようとする運動にしろ面白楽しく進めることが肝心だ。そうしないと長続きはしない。長続きをしないと失敗に終わる。それらは持続的に取り組んでこそ成果が上がるものだからだ。特定秘密保護法に反対する運動だってそうだ。確かに危惧すべき面もあるだろう。それでも、施行後直ちに暗黒社会になるわけでもない。
 楽しめばいい。たとえば特定秘密保護法違反逮捕第一号をジャーナリストは目指す。とにかくジャーナリスト精神を旺盛に発揮して政府の秘密に迫り暴露する。それで逮捕されればしめたもの、反対論者がいうように悪法であることが満天下に明らかになる。主権者である市民が政治判断するため必要な情報を提供したという理由で罪が問われれば、世論は一気に廃止の方向に傾く。逮捕されなければめでたしめでたし、安倍首相のいったことが正しかったことになる。心配することはないわけだ。楽しめることは他にもありそうだ。

〈こだま投稿№2〉 条文の両義性   12月27日

 西日本新聞朝刊の連載エッセイ「言葉のあやとり」を共感しながら楽しんでいる。だが、時におやっと思うこともある。〈教育勅語は素晴らしい〉というくだりにも違和感をもった。我々戦後世代には、国民を戦争に追いやった悪しき教えだと刷り込まれているからだ。
 あらためて教育勅語を読んでみる。「言葉のあやとり」の阿木燿子さんがいうようにすてきな内容である。一方で「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」の部分は使いようによっては怖さをはらんでいる。教育勅語を全面的に支持している人によれば、大災害の時の戒めととればということになるのだが、天皇陛下ばんざいと死んでいった兵士の悲劇につながっていく危うさがあるのは否定できそうもない。
 要するに両義性があるということだ。活用すれば素晴らしい社会を作る原動力となり悪用すれば多くの人に災厄をもたらす。特定秘密保護法にしても同じことかも知れない。使われ方を有権者が監視し続けることが必要だ。

〈こだま投稿№1〉 銃社会アメリカと集団的自衛権   12月17日

 銃社会アメリカは重症のようだ.教師が銃を所持し腕前を磨いて児童を銃の攻撃から守るという西日本新聞十五日朝刊記事を読んでそう思った。その方針に反対する保護者の方が少数派だと記事は伝える。かつて「学校などで発砲事件が起きると銃規制の声よりも銃には銃との反応で銃の売れ行きが増す」といった趣旨の記事を読んだ時も唖然とした記憶がある。自分や自分の家族の命は自らが武器を持って立ち上がるというのは一見男らしくかっこいいが、底なしの銃地獄が待っているということだ。それはいったん始まると反対する市民の声や願いを踏みにじって進行し深化していく。この動きを銃メーカーや銃の販売関係者は歓迎し加速させるからでもある。
 集団的自衛権を日本にもという論調はもっともらしいが、同様の危険があるように思われる。銃産業が絡む点など構造がよく似てもいる。武力を自衛という名目で使い始めると後戻りできなくなる怖さはないのだろうか。