◇ コラム駅前広場 12月31日号

◇ コラム駅前広場 12月25日号

◇ コラム駅前広場 12月17日号

◇ コラム駅前広場 12月10日号

◇ コラム駅前広場 12月3日号

◇ コラム駅前広場 11月26日号

◇ コラム駅前広場 11月19日号

◇ コラム駅前広場 11月12日号

◇ コラム駅前広場 11月5日号

◇ コラム駅前広場 10月29日号

◇ コラム駅前広場 10月25日号

◇ コラム駅前広場 10月22日号

◇ コラム駅前広場 10月15日号

◇ コラム駅前広場 10月8日号

◇ コラム駅前広場 10月1日号

 広報事業に一家言を持っている先輩に愚痴った。篠栗町でミニコミを発行して10年以上、700号超を毎週確実に配布し続けているのに、なかなか市民権を得ないといった嘆きである。「地域で信頼されるミニコミになるには」と先輩は答えた。三つあるそうで、①発行主体をNPOなど社会的に認められている団体にすること、②社会的に信頼や名声が高い企業の宣伝を掲載すること、③記事の出所を明確にすること、というものだった。いずれも難しいとため息をつくこととなった。3番目の「記事の出所を明確に」は難しいことではないのだが、篠栗新聞はそれ以前の限界を抱えている。篠栗町の森羅万象に通じる情報のパイプが甚だ貧しいからある。これはまあ、息長くしこしこと続けていって徐々に信頼を勝ち取りパイプを築いていくしかない。ひとつ目でいえば、NPO法人資格を取得することがもっともわかりやすい。で、にわかに勉強を始めたところ、たじろぐこととなった。それでもドン・キホーテになることにした。
 2番目は労せずして今号で大きなよりどころを得ることとなった。裏表紙に掲載しているように、旅行の名プランナーにして名文家の今長谷さんが、最新のインターネットシステムを活用してカラーの宣伝スペースを提供してくれた。篠栗新聞にもツキがまわってきたのだろうか。同様の手法を使って篠栗町の名門事業所が後に続いてと天に祈るものである。
 篠栗新聞の発展充実はなにより、上の写真の如く、元気で楽しく幸せ気分満点の動きが篠栗の各所で繰り広げられ紙面に紹介できることに尽きる。


◇ コラム駅前広場 9月24日号

24コラム駅前広場 9月17日号

 老夫婦で八女に行った。特産品を購入するのが第一の目的、ついでに観光もしようとの計画だった。八女の特産品は職人の手仕事で生みだされている。八女灯籠にしろ、仏壇にしろ、和紙にしろ職人の誇りと人間の息づかいがある。八女茶も農薬だらけの栽培が主流になっているのかも知れないが、それでも老舗の棚に置いてあるお茶は、やはり人のぬくもりと歴史を偲ばせる。ウィキペディアによれば〈現在 八女市は、九州における最大の伝統工芸の集積地となっており、伝統工芸品の総生産額は九州では最大規模〉なのだそうだ。
 さらに八女福島の白壁の連なりを中心に見所が多いことも、充実したパンフレット類から伝わってくる。ただしこれにはカラクリもある。平成の大合併で周辺の4つの町がくっついたからである。一つの町で見るとボリューム感がないけれど、それが合わさると多彩さと華麗さが二乗比例的に増してくるというものである。平成の大合併は今のところ評価は芳しくない。だが案外大化けするのかも知れない。
 では合併を見送った篠栗はじめ粕屋各町は弱点を抱えたままなのか。そんなことはない。糟屋郡が一体となって連携して観光コースを作ればいいだけのはなしだからだ。たとえば正月の三社詣りなんかをまず篠栗町の氏神に詣で伊野神宮、宇美八幡と糟屋郡が誇る神社をめぐる、それもかち歩きならいうことない。そういえば9月議会で粕屋という地名が話題になったらしい。一般質問といえば新人の栗須議員が自分の町の美化は自らの手でと訴えた。その意味で上の写真に写る中学生たちは頼もしい。


◇ コラム駅前広場 9月10日号

 町おこしとかまちづくりとか観光振興とかの参考書・ハウツー本のたぐいは、おびただしい数上梓され書店をにぎわしている。著者が威張るだけのスカスカの中身の本から、あちこちにポストイットを貼ったり線を引いたりして大いに参考になる本まで玉石混淆である。素晴らしい本があるにはあるのだが、これぞ決定版というのになかなか巡り合えなかった。というか、「これは宝だ」とついに決定版を見つけたとよろこんだのは何度かあるが実際場面ではほとんど活用できないというのが常だった。やむを得ない面もある。町や地域というのは個別具体的であるわけで、本に書いてあるとおりなぞってもうまくいくはずはない、つまり応用問題だから仕方がないわけだ。
 ところが今回ばかりは、これはまさしく決定版だという本に出会った。「稼げる観光 地方が生き残り潤うための知恵」と題する本だ。250ページ余の中にいくつものキーワードがちりばめられている。私が唸ったのは二つある。一つは〈プロダクトアウトではなくマーケットイン〉であり、後一つは〈「学」をつける発想法〉である。
 上の写真の右半分くらいのところで60年前の小学生時分のんきにキャッチボールをしていた者としては、なんだか今の篠栗駅前はせわしないなあとグチがでる。仏の里、森の町の印象とはほど遠い空間である。遠来の客を迎え入れるには優しさと情緒にかけるように思う。客の立場に立って発想しろと本は教えている。左写真の長者原駅との明らかなちがいは歩道の有無である。車社会の縮図のような風景は篠栗に似合わない。


◇ コラム駅前広場 9月3日号

 藤和義前副町長からかめばかむほど味がでるデータを提供してもらった。町の人口の推移が興味深くわかる表で、〈明治初期〉〈昭和39年〉〈現在〉と、大きな移り変わりが迫ってくる。エッと驚く数値がいくつもある。小学生の頃、篠栗町と勢門村が合わさって新生篠栗町が誕生した。だからだろうか、旧勢門村に対する対抗心みたいなのが未だに残っていて、篠栗は町だったが勢門は村だったといった些末なことを自慢していた小学生時代の気分から抜けきらない。
 が、表を子細に見ると、根拠のない優越意識は粉々になる。なんと、篠栗町が人口3万人を越えたのは、旧勢門村の人口爆発にひとえに依存しているのであった。
 ということは‥。昭和40年初頭、私は高校生だった。篠栗町のことを同級生は山の中の片田舎だと信じ込んでいた。今ではさっそうと福岡都市圏の重要な一角を占めると自負できる水準にあると安心していた。旧篠栗町に限っていえばあのころと人口に大差ないわけだ。愕然とする。もし勢門村と合併していなければ福岡都市圏での有力な消滅自治体の筆頭になるかも知れなかったということか。大楠議員が中山間地に行政が光を当てろと議会の場で何度となく切々と訴えるのもむべなるかな、というものだ。だが一見弱点にみえるところに可能性の芽が潜んでいる。多様な地域を抱え込んでいるからこその潜在力もまた確かにある。だから嘆くことはない。そういえば学校グラウンドの芝生は篠栗小の方が勝っているともっぱらの評判だ、と篠栗モンは溜飲を下げる、とやっと百景の写真にたどり着いた。


◇ コラム駅前広場 8月27日号

 台風15号について26日朝刊は〈記録的暴風雨 九州のむ〉と見出しを打った。ひねり出した整理記者は、1991年(平成3年)9月の、死者61人を出した台風19号を知らないのだろう。台風観を一新させるほどの猛威をふるった19号にくらべれば15号などかわいらしいものだ。鳴淵ダム辺りを台風の目が通り過ぎたというから篠栗町は直撃されたわけだ。台風のど真ん中に篠栗町があるころに朝刊を配っていたエリアセンター前所長は「確かに台風だったが、19号の恐怖を思えば質が違う」と感想をいった。
 今回感服したのは気象庁による台風の進路予想の正確さである。コース・通過時刻ともぴたりとあたっていた。台風は命じられたごとく予想図の通り駆け抜けていった。このことを評価する新聞記事はないようだ。一方、最大瞬間風速は60㍍と九州での観測史上最高の数値がでると警告したが、こっちは杞憂に終わった。なぜ外れたかを検証する記事もなかった。
 今回の甚大な被害の筆頭は交通機関の運行の乱れであろう。正確な予想と現状把握ができれば運転再開はもっと早まったのではないか。たとえば台風の襲撃と同時に火山が爆発し地震が起きる危機が生じたとき公共輸送機関は重大な使命を帯びることになる。運行すべきか否かの判断を迫られる。そんなダブル災害の危機管理の準備はできているのだろうか。異常気象を煽るだけでなく今後の教訓を導き出すような取材と報道をと願う。
 少子高齢化と危機を煽るだけでなく、こんなにもかわいく素晴らしい子どもたちが地域に溢れていることを篠栗新聞は心して伝えていきたい。


◇ コラム駅前広場 8月20日号

 東京オリンピックでの選手宣誓は今でも脳裏に焼き付いている。「鬼に金棒」を文字って「小野に鉄棒」と頼られた小野喬という体操選手が務めた。「オノタカシ」と控えめなのに高らかに宣誓を締めくくったとき私は感動した。開会式の晴天とともにオリンピックの成功は約束されたと思った。
 我々団塊の世代の小中学生時代、選手宣誓というのは、実に晴れやかな舞台だった。自分がその主人公になるなどありえないことだった。時代は様変わりした。今では少なくない小学生が選手宣誓の経験の持ち主である。始球式なんていうのも縁のない催しだった。それなりの風格のグラウンドがいるわけで。その始球式で三浦町長がカブトの森野球場のマウンドに立った。町長杯争奪大会の開会式だ。球場の設えといい町長の華麗なピッチングフォームといい甲子園に負けなかった。観客の数は天と地だが。
 篠栗町議会議長の今泉さんが、議長としての能力最絶頂期に潔く議長の職を勇退した。いくら余人に代え難しといっていつまでも続けていると人を育てることはできない。だから絶頂期の引退もありなのだが、見事な出処進退といわざるを得ない。阿部新議長が誕生し前議長とは違ったカラーを出し議事を取り仕切っている。議会答弁の見事さにとどまらず幾多の場面で町長らしさを横溢させ町民の間に立って町をリードする三浦町長といい篠栗町は願ってもない政治リーダーをもっている。とはいえ主人公はあくまで町民だ。町長杯争奪のスポーツ大会が、町政を付託した町民と付託された町長・議員の実りある交流の場に発展すればいいと思う。


◇ コラム駅前広場 8月13日号

 NHKの時代劇ドラマは、なんとなく本物っぽくって楽しめる。現在放映中の「参勤交代」がテーマの『一路』なんか、いつも上手な演技をする若手俳優が主人公だし見応え十分だ。回が進むにつれ参勤交代のあれこれがより詳しく具体的に解き明かされてゆくであろうからそれだけで見る価値がある。旅路の武士たちの意匠にしてから興味津々だ。
 様々な帽子、笠というべきか、がでてくる。それらの全てのかぶり物が日本人にはよく似合う。似合うだけではない、凛々しさやもののふらしさがにおってくる。日本人の顔の造作というのは、何であんなに日本の衣装にぴったりと合っているのだろう。衣装が人を高め人が衣装を高めるという関係だ。
 その疑問というのは実は逆さまなのだということを知った。つまり、日本人の顔形に合う、さらにいえば引き立てる意匠を、長い年月かけて工夫に工夫を重ね、時に外国の意匠のよさも取り入れながら倦まずたゆまず作り上げてきたのが今に伝わる日本独自の和服であったり袴であったり編み笠であったり、ということになる。たとえば裃なんていうのは西洋人が着用すれば道化になるし、中国人が着てもそのおかしさに思わず吹き出すだろう。
 88Tシャツの大成功に満足せず、遍路の旅に似合う衣装の開拓と改良に執念を燃やすべきではなかろうか。博多山笠にしろ阿波踊りにしろ祭りそのものの魅力もさることながら意匠に改良が加えられたからこそ遠来の客を魅了する。日本伝統の粋ともいえる僧侶の意匠を法青会の面々が身につける。篠栗町らしさをひとしお感じるひとときである。


◇ コラム駅前広場 8月7日号

 今回は大上段に振りかぶったようなことを書いてみよう。人気が衰えない池上彰の著作「どうなってるの?ニッポンの新聞」(東京堂出版)を立ち読みした。最後の方のページにまさに啓示があった。迷うことなく買い求めた。〈今、アメリカでは地方新聞が相次いで廃刊になっています。結果、その地元では何が起きたでしょうか。選挙の投票率が激減したのです〉。さらに〈不正や汚職〉も激増したと続く。なぜそうなるのか、人気者池上氏は分かりやすく説明する。分かりやすいけど中身は濃い。というか当たり前のようでいて誰も言及しなかった宝石のような考察を記している。地域紙がなくなれば小さな町の選挙の情報は有権者のもとに届かなくなる。選挙情報だけでなく自分の町で何が起きているのかも知る術がなくなる。人々の政治への関心は薄れていく。だから〈新聞というのは民主主義を底辺で支えている“インフラ”なのです〉。
 地域ミニコミ誌を編集・発行していると、その意義をどうしても過大に自己評価してしまう。だがこの本は、それでいいのだといってくれているようで、力強く鼓舞された。取材する力をさらに高め見識のたかい人たちが参集してくれば、池上氏がいう〈民主主義を底辺で支える〉意義深いインフラになる可能性を篠栗新聞は秘めているわけだ。
 日本の主都東京から遠く離れたこの篠栗町にも井口君のように世界に羽ばたく若者がいる。中体連の大会もそうだが勇気づけられ町への愛着心も高まる動きに事欠かない。篠栗新聞が充実すればするほどまちづくりの動きは加速し充実するだろう。


◇ コラム駅前広場 7月31日号

 西日本新聞日曜日の紙面には「提言」欄がある。九州ゆかりの論客や賢人たちが健筆をふるう。毎回とはいかないが教えられ、うなることが多い欄である。先週の藻谷浩介さんの文章などは西日本新聞の名声を高らしめるに十分の内容であった。
 模倣が新しい文化を生む。というわけでこの篠栗新聞にも提言欄を新設しようと少々蛮勇気味の決断をしてしまった編集部なのであった。篠栗町には名文を執筆する英明なる師がきら星のごとくいることを無闇と確信し、今4人の方にしぼって相談を開始しようという流れである。すでに一人の方からは快諾を得た。700号の勢いは怖いくらいだ。篠栗町でそんなことができるのかと心配される向きもあろう。だが中学スポーツ大会の取材などを重ねてきた編集部には一つの確信がある。西日本新聞の提言欄よりも篠栗新聞の方が決定的ともいえる強みがあるという点である。
 どういうことかといえば、篠栗に住む人が篠栗に関係することを題材にしたり、あるいは文章のひとすみにかすかに篠栗の香りを漂わせたり、といった感じで、私たちが愛する篠栗が何らかの形で文章に息づく文の連なりになるからである。上の写真に写った篠栗中ソフトボール部の県大会出場の記念集合写真を見てもらえば、私のいいたいことがわかっていただけるのではないか。前号の繰り返しになるが、かつての東京を中心としたところでしか味わえなかったスポーツや文化の水準の高みが今では3万人の自治体にも押し寄せているということなのである。真夏の夜の夢に終わらせないよう張り切って進めます。

◇ コラム駅前広場 7月23日号

 篠栗中学野球部は筑前地区大会で優勝には届かなかったものの3位入賞を果たした。応援席にいた篠栗新聞編集スタッフは緊張感と見応えのある試合展開に興奮して電話をしてきた。トーナメント戦は残酷である。1試合でも落とせば次はない。長期間の汗と涙は一瞬にしてうたかたとなる。一握りの勝者の栄光を支えるのは数多くの敗者の悲嘆、というわけである。だからこそそこにドラマが生まれる。甲子園に魔物が潜む由縁であろう。
 編集スタッフの電話の結論は「もったいない」ということであった。これほどに観戦のしがいのある試合が保護者を中心とした関係の深い人だけにとどまっていることがもったいないというのである。甲子園の売りは三つか。郷土勢への熱い声援、高校球児のひたむきさ、トーナメント戦のドラマあたりだろう。当然水準の高さは必要最低条件である。
 中学野球というのは実は甲子園を上回るのである。ひたむきさとドラマはいずれ負けず劣らず、明らかに差があるのは郷土勢への声援である。高校野球の弱みは、強豪校の選手たちは、寄せ集めであることだ。他県からひっぱってきた優秀な選手たちによって成り立っている。つまり例外はあれど甲子園で活躍する選手たちは郷土の英雄ではない。中学の野球チームは正真正銘の、郷土で生まれ育った代表である。
 たぶんある時期までは、観戦するに値する最低条件の水準に達していなかったのであろう。今は違う。この篠栗新聞はどうしても中学大会の取材に力を入れたくなるのは、篠栗町にとって大きな可能性と潜在力を持っているからなのだ。


◇ コラム駅前広場 7月16日号

 昭和40年代、西戸崎に米軍基地があったころ、仕事で基地内に入った。異国の光景を間近に見ていい経験となった。忘れられない驚きが二つある。男性便器が異常に高く、胴長短足の我々日本人が放尿用の棒状の器官を便器の下辺に持っていくには「よいしょ」と気合いを入れる必要があった。後一つの驚きは、部屋の壁際に高価そうなパンが昼食用に好きなだけ食べろと置いてあったことだ。当時の日本人の感覚では贅沢きわまりない空間であった。
 様変わりした。21世紀に生きる日本人は、バイキング料理などと称して高級料理食べ放題を楽しむことができる。欧米に追いつき追い越せと、欧米の洗練された制度を官僚を通じて取り込み、国民一丸となって中央集権という制度を目一杯活用して今日の繁栄を築いた。ものは有り余るほどだ。格差問題はあるにしても。
 豊かさを背景に、今地域に文化が花開いている。篠栗祇園夏祭りもそうだし、中体連の大会取材にいっても痛感する。バスケットボール大会の篠栗中女子選手のぶったまげるような水準のプレーに目を見張る。身近なところに好試合、好プレーが転がっている。近所の子が選手として活躍しているわけだ。だから篠栗町地域限定のミニコミ誌の存在価値は高い。それは地域政治もそうだし地域経済も同様だ。仕入れて売るだけの商売人から経営感覚を備え、近江商人三方良しを実践する篠栗町商工会員も少なからずいる。地域の人材の活躍と人事全般で紙面がにぎわい篠栗町の明日の発展を熱く語る。篠栗新聞の近未来を思い描き700号メッセージとします。

◇ コラム駅前広場 7月9日号

◇ コラム駅前広場 6月25日号

 生まれ育った土地の地名はとても愛着がある。小学校の時好きだった女の子が高田に住んでいたとか甘酸っぱい思い出とともに地名があったり、亡くなった母親と新聞代の集金に二、三ヶ月に1回通っていた萩尾は、のんきに生きていたけど基本的にまっとうな人生を閉じた母親の面影を想い出すことになるし、西日本新聞が野外映画会をしていて暗い夜道を歩いているとお墓があったりして怖い思いをした乙犬だとか、明治区も好きだった女子中学生とともに想い出す。そんなにませた男の子ではなかったが幼い恋の話が二つも出てきてしまった。いずれも失恋に終わるので苦い思い出なのであった。
 いきいきサロンの様子を写した写真がいくつかの区から提供されてきた。やっぱり尾仲らしい雰囲気があるなあとか、これは紛う方なき下町の色彩だなんて思いこんだりする。地名は文化であり歴史であり人生を長く生きてきた者には積み重なった思い出とともに豊かな彩りを与えてくれる。
 乙犬とか津波黒とか、よその土地の人が聞くと「エー、そんな地名があると、冗談のごたー」なんて反応が返ってきそうだが、篠栗の人間にとっては由緒正しい誇るべき、そして愛着のある名称なのだ。
 社会教育をテーマにした「よろこびとふれあいのまちづくり」フォーラムの一部始終を撮した横山区長の写真を眺めていると、それぞれの持ち場・立場で献身している人たちの交歓の場として意義深い集いだったのだろう事が伝わってくる。同時に篠栗町の地名というものを考えさせ想い出させてくれる空気が漂っているように思えた。地名は大事だ。


◇ コラム駅前広場 6月18日号

 野球チームの選手どおしで弱点や不得手なことを隠し合っていても始まらない。走るのが遅い、肩が弱いことを知って補い助け合って戦いに挑む。監督は選手の強みや弱みを把握した上で先発メンバーを編成する。勝利をめざして戦う以上、「それは秘密にしておきたいことだから」と隠すことはできない。私事(プライバシー)よりチームが優先する。「親しき仲にも礼儀あり」、野球の試合に関係のないことまで立ち入ることを慎むべきは当然だが。
 かつてのような経済成長が望めない中で少子高齢社会は確実にその深刻さをましていく。自助・公助・共助を組合せて叡智と献身を出し合って助け合って行かねば太刀打ちできない状況に追い込まれている。ところが個人情報保護法というやっかいな法律が立ちはだかる。助け合おうにも相手の窮状が分からない。一方でひとの情報を入手して悪用しようとする者や組織は簡単に手に入れることができる。彼らは違法脱法行為を躊躇しないからだ。禁酒法時代のカポネなのである。ひとの情報を得て助けようとするひとには知らされず、ひとの情報を得て金儲けをしようと知るひとに偏って情報が集まる。
 そんな風潮を、年金機構やベネッセという企業の情報漏洩事件を報道するマスメディアがさらに煽る。小難しくいえば、本来プライバシーが守らねばならない相手は強い者(権力者)に対してである。弱い者は互いの弱さを知り合っていたわり合い助け合う関係をつくらねばならないはずである。そんな社会を日本人は築いてきたのではなかったか。「隣は何をするひとぞ」では困る。


◇ コラム駅前広場 6月10日号

 映画「007」シリーズで空前の人気役者となったショーン・コネリーは、その人気とはうらはらにジェームス・ボンドしか演じることができない俳優と酷評されていた。ところがその見立てが全くの誤りだったことを、その後出演した映画で見事に証明し続けた。中でも彼が映画史上最高の魅力的な警察官を演じた「アンタッチャブル」という傑作作品がある。最初見たときとてつもない衝撃を受けた。作中の重要人物の一人アル・カポネが登場するシーンだった。会議の席上カポネが、裏切りを働いた幹部の脳天を野球バットで力任せに何度もたたいて殺すという凄惨さだけでもすごいのだが、何より打ちのめされるように驚いたのは、稀代の悪人カポネが本物に見えたことだ。カポネはまだ生きていたのかとさえ勘違いするほどだった。ロバート・デ・ニーロという異能の俳優が扮した。役になりきるためには何でもするという役者だとあとから知った。
 年金機構が情報流失の失態を犯し批判を浴びている。マスメディアを先頭に厳しく批判が渦巻く。こんな時にもあまのじゃく的な気分がもたげてくる。個人情報保護法の方に問題があるんじゃないかと反発したくなる。カポネは禁酒法を悪用して肥え太った。個人情報保護法というのは禁酒法と同じ構図になっているのではないか、という疑問をぬぐえない。
 個人情報保護法は明らかに、人々の絆を断ちきる決定的な役割をしている。一人暮らしの高齢者が増えた。彼らを支えるためには、体調や病歴や連絡方法といったものが最低必要である。法律がじゃまするのだ。(続)


◇ コラム駅前広場 6月3日号

 ボランティア活動に各分野で精を出す篠栗小学校区グループの交流会が30日、椋の木ホールであった。「篠栗小校区づくり実行委員会」が呼びかけた。
 竹とんぼづくり名人藤清人さん、植樹・森づくりのオーソリティ村嶋さん、慈愛に満ちた笑顔で子どもたちの安心に目配りするみまもり隊の高橋さん、地元食材にこだわって食育に情熱を燃やし続ける藤三千代さん、「子どもを基点にして結びあう地域コミュニティづくりに邁進したい」と表明した隈井PTA会長‥ボランティア活動いのちの人たちが時を経るほどにボルテージを高めながら交流した。
 「仕事柄多くの校区に接してきたが篠栗の地域力は群を抜いている」とあいさつしたのは篠栗小青木校長である。とりわけ大所帯のみまもり隊朝の活動は、多くの分野での活動という縦糸を太く持続的な横糸で篠栗のボランティア活動を確かなものに紡ぎ出している。闊達・明朗の石川代表が縁の下の力持ちの役割の中心となってリードする。
 政治や行政は大動脈的な仕事、ボランティアは毛細血管として現場に即したきめ細かな動きで地域を元気づける。
 「幸福になるには三つの要素がある。もらう幸福、上げる幸福、そして、できる幸福です」と十時実行委員長はいった。あげる幸福を忘れた引退組は社会にとって負の存在になりがちだ。人間を生きているとは、社会に関わり参加し幸福を作り出す源になってこそいえる。助け合いを基調とした地域の結びつきを強め、市民性を豊かにするのはボランティアの得意技だ。「幸福いっぱいの篠っこ広場」が今年の委員会のテーマだ。

◇ コラム駅前広場 5月27日号

 2011年には新聞・テレビは消滅するという題名の本を世に問うた人は、見立てが狂ってすでに4年たつというのに、いまだいけしゃーしゃーと本を出し続けている。筆を折れとはいわないが、新テーマの本を出す前になぜ間違ったかの真摯な反省本の執筆をまずはするべきだろう。知事や総務大臣を歴任した人が「消滅自治体」などと脅しの文句の本を出した。節度がなさすぎる。
 少子化が進行すると産婦人科や小児科の先生たちがまちから消えてしまう。確かに大変なことがあちこちでおきるであろう。しかし戦争の焼け跡闇市から私たちの親たちは立ち直った、わけだし。楽観と悲観のバランス感覚を鍛えることが肝心だと思う。楽観的な立場でいうと、篠栗町の医療体制というのは70年近く見てきた者としてほんとうに素晴らしい水準だと感謝したくなる。病棟が拡張されるという動きは大変な安心感を住民にもたらす。感謝するだけでなく、与えられた好条件を活用して健康のまちを作り出し発展させる責務が住人にはあったりするのかもしれない。
 60歳超の老人は健康といえば、何より健康寿命こそが最大の関心だ。当の老人も回りに迷惑をかけずに生活を楽しみたいし、寝たきりの老人の比率が高くなると、世話する人の苦労は並大抵ではなかろう。その人生さえ奪うことになりかねない。
 人は年を取るにつれ、性格も容貌も若い人から嫌われるようになる。それは自然の摂理なのだそうだ。死ぬまでいい人で通したら、遺族の喪失感はとてつもなく深刻なものになるからだという。人生とはやはり難しいものなのか。


◇ コラム駅前広場 5月14日号

 篠栗中学校の「心磨きトイレ掃除」に参加した。248人もの参加があった。うち中学生は部活のメンバーを中心に153人である。発起人の篠栗小校区づくりの十時先生に勧められた。おっかなびっくりの参加となった。便所を掃除することで心が磨かれるという。この運動の提唱者の鍵山氏の教えは十分に理解しているつもりだが、実感は伴っていないし、体はついていっていない。便所といいご不浄といい換えさらにはばかりなどと衣に包んだりしながら、汚いものから目をそらし続けるのが人の常である。手で触るのはもちろん、ただ見るのだっていやな黄色く汚れた便器の中である。
 汚いと単純に思っていた便所および便器排水溝が、本気で磨き出すと汚いものに思えなくなってくる。本気度は高まりしだいに力が入る。力だけに頼っても汚れは思うように落ちてくれない。道具を工夫する。たわし、サンドペーパーもどき…、それでも劇的に効果が高まるわけではない。落ちるのはわずかだ。金ベラを使うとおもしろいように落ちたりする。

 中学生の目の色が変わってきた。たっぷりとおもっていた1時間半の予定時間は意外にもどんどん過ぎる。リーダーの「後20分」という声に驚いた。ぴかぴかまで最後のがんばりだ。時間がきた。トイレや洗面所が見違えるような美しさだ。自分の心もトイレに負けずぴかぴかに変わる。達成感そして感動を覚える。わずか一日の行動では真髄はつかめまい。一日だけで終わらせるのもったいない。継続して実践しよう、できたら運動をひろげる方の人間になりたいと本気で思ったl。


◇ コラム駅前広場 5月6日号

 多種多様な団体が篠栗町の豊かな発展を願って知恵を絞り汗をかき、歯車としてこつこつ支えたりエンジンとして推進力となったりブレーキ役となって危機を回避したり、潤滑油となってスムーズな運動を支えたりしている。ちょっとだらしないなあと物足りなさのある団体もあるかもしれない。唯我独尊我が道を行くで協調性に欠け足並みを乱れさせる団体もあるだろう。だが一点非の打ち所がなく弱点なしの組織などこの世にあるはずもなく、足らざるを互いに補ってこその人間社会である。
 我々の時代の中学校の生徒会ってほんとうに内向きの組織だったなと思う。篠栗町の住人に向かって何かを発信しようなどと大それたことを考えた役員は皆無だったろう。分をわきまえ控えめにが美徳だった時代だ。現代の若者は物怖じすることなくおいさんおばさんたちの前に姿をあらわし存在感を示す。
 まちに活気を呼び込み若さあふれるまちづくりをしようとするとき、彼らの力を借りない手はない。なにしろ町内で最大規模の組織である。規模の大きさゆえにその潜在力は並みではない。死命を決する、というわけだ。
 篠栗町の主要な団体が一堂に会する「春らんまん」という行事は、それぞれの団体の充実度とか将来性とか、そして各団体の協調度とか連携のあり方を見ることができて、篠栗の発展を占う要素をもっている。プロ野球監督、オーケストラ指揮者、映画監督は男があこがれる職業なのだそうだ。指揮棒一つであまたの団体を統率しハーモニーを引き出し華麗なメロディーを奏でる名伯楽も会場には何人かいたようだし。


◇ コラム駅前広場 4月29日号

 町議会議員もくりみんを超える活躍と献身をしているはずなのに、これほどの歓迎を有権者から受けないのだろうなんてことを上の写真をながめて思ったりした。
 議会傍聴をして、このミニコミで報告記事を書いたりしていると、今回の選挙にはまた違った関心と興味がある。あまりにぴったりなので永世議長などと錯覚しがちだった今泉議長が、突然といった感じで引退となった。ぽっかり空いた穴を埋めるの誰か、と考えをめぐらすだけでもおもしろい。特別議会が招集されて議長・副議長・常任委員長とかが直ぐ決まるというふうにときはめぐってくる。他人の悪口と人事の下馬評ぐらいおもしろいものはないのに、普通の有権者にはほとんど情報は伝わってこない。自治体の首長・議員選挙が低当票率とか無投票とかが続出して心配されているが、さもありなんと思う。地域政治に関心を呼び起こそうとする仕掛けも工夫もないからだ。議長選考をめぐっての隠れた動きというのは、広域を配布対象とする一般紙には不向きだ。工夫すれば何とかなるはずなのにさぼっているようにみえる。その点ミニコミは、とりわけこの篠栗新聞は一つの自治体が配布対象なので可能性を秘めているが、如何せん、取材力がない。たいそうな価値のある新聞情報なのに、関心を高めるせっかくの機会をみすみす放棄せざるを得ない。
 地域に開かれた学校、地域とともに歩む学校というのは小中学校にとって大きな目標の一つだろう。その役回りをくりみんが見事に担った。地域政治と有権者を結ぶ方法も意外なところに転がっているかも知れない。


◇ コラム駅前広場 4月22日号

 65歳を過ぎると小学生時代の思い出というのはなかなかすっきりとは像を結ばない。母校の篠栗小は校舎が建て変わっているし、配置もガラガラポンでかろうじて椋の木の辺りだけが何とか面影を残しているぐらいという悪条件もある。小学生時代の思い出に浸ろうとすると、失敗したときのこととか先生に叱られた記憶とかがまず浮かぶというのもつらいところである。運動会の練習から教室に戻ろうとしたとき裸足で犬のウンコを踏んづけたことなんかが真っ先に思い起こされる。月の満ち欠けを1週間ほど連続して記録するという宿題が一年生の時に出て、遊びほうけていると提出の日となる。小学生の浅知恵、隣の子から最新の分だけ写し取って先生にもっていく。悪事は手もなくばれる。先生はできるまで帰しませんという。絶望感を味わった最初の体験だったのではないか。
 人生に成功する要諦は〈終わりよければすべて良し〉と信じてはいるものの、もう少し豊かで彩りのある小学生時代を過ごしておればよかったのにと思う。それぞれの場面で珠玉のような思い出がちりばめられた人生というのはうらやましい限りである。
 そうなると戦争なんていうのは絶対にアウトであるわけで集団的自衛権の問題なんかもう少し分かりやすい議論をしてほしいのにと思う。そこで上の篠栗百景の写真に目をやると、今の小学生はほんとうにすてきな大人たちの愛情豊かな思いやりとこころざしに囲まれて豊かな思い出をはぐくむことができる、ということを痛感させられる。愛を与える方も受ける方も共に幸せになれるのがすごい。


◇ コラム駅前広場 4月15日号

 親の実家のあった城戸は小学生には様々な遊び場所があって、夏休みに泊まりがけでいくと、来る日も来る日も遊び回っていたような記憶がある。山や川は子どもにとって魅力的なのは当然として、城戸を縦に貫く210号線の道路だって、当時は思い出したように自動車が通るだけで、オンジャクなるもので線を描いてエスケンとかに興じ子どもには格好の遊び場だった。南蔵院のそばに城戸の分校跡の建物があって、ここでは狭いグラウンドで多分チャンバラごっことか野球のまねごととかしていたのか。校舎のそばの南蔵院につづく道に紙芝居が来ていたり。母親が子どもの時分、この分校に通っていたと聞いこともあって今はなき幻の建物は懐かしさひとしおの校舎である。以上は60年近く前のセピア色めいた思い出話である。内住の分校は、私が小学生の3,4年の時篠栗小と合体して、数人の転入生がいて、梶原という姓が多いことをおもしろがった思い出がある。萩尾分校だけは綿々とつづき、中学では分校生が合流するものの同じクラスになったことはなく私には孤高の存在のごとく写り、親しみは後一つであった。

 その萩尾分校は今、何かと脚光を浴びている。分校一つあるだけで篠栗町の懐の深さを醸し出しているような感じだ。カレーフェスティバルを主催している篠栗の輪の村山会長が「分校文化」という表現をする。分校文化は確実に結実に向かって深化しているようである。萩尾の地名の由来は知らないが、あの明るく開けた山間の地は、萩の花が似合いそうだ。萩の群生でほのぼの感あふれる癒し空間‥。


◇ コラム駅前広場 4月8日号

 消防団の精鋭と区長会のお歴々とが対面するという場面、なかなかの見ものといえまいか。6日の西日本新聞社説は次のように筆を進める。〈1人暮らしのお年寄りや認知症の人たちなどの見守り、介護、子育て、防災…。(中略)国や地方自治体の財政事情は厳しさを増しており、施策にも限界がある。それを補うために、地域社会の支援が重要視されているわけだ。(中略)重くなる役割とは裏腹に、一部を除いて住民の絆は弱まっているのが実態だろう。(中略)「役員を務める人材が出てこない」「地域活動に無関心な人が多い」。町内会長など現場を担う人たちからは、悲痛な叫びが聞こえてくる〉。
 各区に区長がいて副区長がいて会計担当がいて分館長がいて、消防団には団長はじめ分団長、班長がそろっているという風景は、ついつい当たり前のことと思いがちだが、そこに至るまでには多くの人の献身と地域社会への思いが背景にある。同時に一人もれなく役員がそろっているということの重みもついつい忘れがちだ。そのことが地域社会に力を与え、そこに暮らしている人たちに信頼と安心感をもたらすなにより力強いよりどころになっている、そのことを意識しなくなる。
 グローバリゼーションという魔物みたいなものが吹き荒れて、高くなるものばかりと思っていた石油がやすくなったり何が何だかわからないことが生活を直撃するようになったとはいえ、私たちの生活の多くを支えているのは地域社会である。そんなこんなを考えさせてくれる、感慨をもたらしてくれる一葉の写真、というわけで今週の篠栗百景とした次第。


◇ コラム駅前広場 4月1日号

 雷はどんなに屈強な男でも怖がる。怖さの由縁はひとえに、いつどこで落ちるか分からないという点にある。音響効果とかもあるにはあるが枝葉末節といっていい。徐々に近づいてくる台風などはお行儀いいというわけだ。地震雷火事親父という。地震も、「いつどこで」が分からないという点で雷に似ている。だが決定的な違いがある。どこが違うか、読者のみなさん考えてみましょう。

 そこで上の百景の桜に話題を移そう。花見がみやびでゆったり気分に浸ることができるのは、雷に襲われる不安と縁遠いからではないか。ある山好きがキャンプ場には絶対に雷が落ちないといった。そう信じないとキャンプなんかできないですもんねえ。つまりこれは迷信盲信のたぐいだろう。

 九大だか熊大だかの先生が竹林には雷は落ちないことを突きとめた。竹が発するフィトンチップみたいなものが精妙に作用するからと説明する。竹林ならどこでもというわけではなく整備の行き届いた竹林であるほど、そのフィトンチップのようなものの発生が盛んになるという。竹林の七賢人が賢人たりえたのは、後顧の憂いなく思索に没頭できたがゆえだったということになる。

 実は篠栗町の中山間地に知る人ぞ知る隠れ場といった趣の、雷恐怖症の人たちがこよなく愛する竹林がある。不思議なことにここでは雷はすべて遠雷で、耳に心地よく響く雷鳴と目にも鮮やかな雷光を楽しめる。そのうち俳句史に残る名句も生まれるだろう。嬉しいことに聖地の数は増えていると聞く。以上、●以降エイプリルフール便乗のうそ八百、とはいえ竹林整備は大事です。


◇ コラム駅前広場 3月25日号

 読者のみなさん、日展とかの美術展会場にはじめてゆくと度肝を抜かれたという経験はありませんか。「永遠の微笑」とか「落ち穂ひろい」とかが絵画の大きさの標準と思いこんでいる素人から見ると、展示されている作品のすべてがやたらめったらと大きい。あんなのは日本家屋には飾れない。画家は腕が上がると大きなキャンバスをめざしたくなるのか。素人が描いた小さな水彩画の方に、私は気持ちが和む。我が書斎に飾るなら断然こっちだ。
 音楽にも似たような悩みがある。功成り名を遂げた歌手が大編成の楽団をバックに大規模なホールで数千人の聴衆を前にして歌いたくなるのは、人情として分からぬでもない。しかしそれは歌手本位の考え方だ。フルートとかクラリネットのソロの伴奏で石川さゆりが歌う、舞台は弐十匁とかいうことになれば私にとって究極の姿だ。といいながら、それはオールジャパンの場合だ。団塊世代の高校時代、篠栗は田舎そのものと福岡市の級友に思われていた。田舎を絵に描いたような。時代移って幾星霜、その篠栗で地元の三つの吹奏楽団が晴れやかに高らかにきらびやかにラッパの音をクリエイト大ホールで解き放つ。大変なことです。
 プロムナードコンサートというなかなかのネーミングの演奏会がある。八十八カ所の遍路道や札所と組み合わせた演奏会、米の山山頂広場での豪快な演奏会、森林セラピー落陽コースでの人生の酸いも甘いもかみ分けた熟達の者にしか味わえないコンサート、竹林の静謐な演奏会、篠栗町の豊かな観光資源と組み合わせた演奏の形で芸術と文化を花開かせたい。


◇ コラム駅前広場 3月18日号

 日本全国には10,950の中学校があるそうだ。(文科省HP)一万を超えるまなびやで学問の道の楽しさ苦しさ、スポーツの栄冠、恩師への感謝、親への晴れ姿、ときめく恋、などなど万感の思いを胸に秘めて中学生たちが巣立っていく。

 篠栗中学校の卒業式には、中体連の大会はじめとするつきあいがあって身近に感じ親しみを覚えるわけだけど、卒業式って、ミニコミの題材に打ってつけだと閃いて、子供たちの気持ちに寄り添い素敵な笑顔を引き出すカメラの名手に撮影を頼もうかと迷っていたら、ちゃんと撮ってくれていた。百景の4枚はじめ裏面の写真は横山さんの作品です。

 式場内には関係者しか入れないそうだ。簡にして要を得た太郎良校長のあいさつも聞きたいし、町政トップの三浦町長が卒業生にどんなはなむけの言葉を贈ったかも知りたいし‥。子どもは親によって生を受け、愛情を受けて卒業生になったのだから、まずは家族で慶びを分かち祝うのは当たり前のことだ。同時に社会の子でもある。篠栗という地域にとっても宝の存在である。校長や町長のあいさつを町民全体で共有して、子供たちにきびしく優しく愛情豊かなまなざしをそそぐ、みまもり隊の心が町全体に広がるような卒業式になればいいと思った。

 最後は手前みその話で締めくくる。週刊発行のこのミニコミって、けっこう使い甲斐がある媒体だと確信した次第、大人と子ども、地域行事と住民、地域と地域、そんな関係をつなぎ絆を太くしていく、その介添人としての条件を秘めている、のではないか。男と女の仲は赤い糸に任せるとして。


◇ コラム駅前広場 3月10日号

 「篠栗町に春を呼ぶ霊場開き‥」の枕から三浦町長のあいさつは始まった。私も篠栗八十八カ所のよさを見極めようと接してきたが、今回の町長のあいさつは示唆に富み教えられることが多かった。空海さんが中国から日本に戻ってきたとき船から若杉山の姿が目に入ってきたのではないか、そこに霊とか聖地とかを感じて修行をはじめたのではないかと想像をめぐらす。篠栗線で篠栗に戻るときにみえてくる若杉山の姿に、空海さんの思いを重ね、霊峰というにふさわしい山容にありがたさを感じ篠栗に住んでいることの幸せを思うといったような話だった。(メモしていないので違っていたらすみません)。
 くめど尽きせぬ何かを八十八カ所の遍路道や札所は秘めているのだろう。百年を越えるときの流れの中で、八十八カ所を支え愛と苦闘を倦まずたゆまず営んできた人たちの思いがあるからである。
 こういうミニコミの編集に携わっていると、どうしても篠栗町の観光の発展とか振興とか充実とかに思いをめぐらせることになるのだが、その結果つくづく思うことがある。篠栗の観光というのは、結局八十八カ所に始まって八十八カ所に終わるのではないか、という思いである。先日別府温泉の客となった。竹瓦温泉周辺の路地の町を歩く。そうすると、温泉の町、湯治の町、歓楽の町として長い歴史と日本有数の規模を誇る別府温泉の凄みの前では観光地篠栗など吹っ飛びそうに思えるのだった。その思いは伊万里に滞在したときも唐津で遊んだときも襲われた。篠栗が拮抗し得るとしたら八十八カ所の歴史だけなのか。


◇ コラム駅前広場 3月1日号

 裏表紙に紹介しているように読者の声として〈今春の町議選挙では候補者全員の立会演説があったらいいですね〉というのがあった。国政選挙では立会演説会に誘われても、演説の内容がなかなか日常の、あるいは隣近所の生活に結びつかず興味を持って聞きにいこうということにはなりにくい。そこへいくと町議選は文字どおり向こう三軒両隣の話題である。有権者に政治に目を向けさせる絶好の機会ということになる。消滅自治体とか地方創生とかが新聞をにぎわして、まさに地域というのが人々の暮らしを大きく左右するまっただ中にあるというのに、立会演説がないというのは淋しい限りだ。そんなことをYさんの言葉で気付かされることとなった。エリアセンター前所長の記憶によれば、「もう20年くらい前からなくなった」ということになる。
 立会演説会の再開だけに課題はとどまらない。9日には三月議会の一般質問もある。三月議会は新年度の予算を審議する場でもある。町議それぞれが4年間の議会活動の集大成として、それらの議論の場に臨み篠栗町の課題と方向性を鮮明に打ち出してほしい。
 先の衆院選では過去最低の投票率となったと騒がれ、かつ心配する声が多かった。民主主義の危機というわけである。あまのじゃくの私など、あんなにぐちゃぐちゃの何を旗印に争われているのかわけの分からない選挙によくも半数近くの有権者が投票所に足を運んだものだ、日本の民主主義を大丈夫だと感心した方なのだが。篠栗町町議選の立会演説会が花開けばそんな心配は吹き飛ぶ。立候補を決意した政治家に託す。


◇ コラム駅前広場 2月22日号

 小学校の社会科で親の職業を調べるというのがあった。(いつものことで団塊世代の思い出である)。床屋さんとか洋服の仕立屋さんとか牛乳販売店とか、ま、そんな感じで同級生が報告する。記憶が定かではないが農業も相当な数だったろう。炭坑の閉山が一段落したころで、そのことがどのように反映したかもよく覚えていない。親が勤め人というのは3人くらいだったか。隣の鉄工所で溶接の仕事をしているとかで、不思議と銀行とか商社とかに勤めている親はいなかった。学校の先生とか役場に勤めているとかは同じ学年にはいたようだ。なんだかハイカラにみえた。
 ほとんどの親たちが篠栗町の中で働いていたわけである。篠栗小学校からわが家のある篠栗駅前までのとおりには様々な店が商いをしていた。そのころは地域興しとかまちづくりとかしゃれたものはなかった。大人たちは働き、のんきに雑談し、夕餉には今みたいに酒の肴というほどものはない中で晩酌を楽しんでいた。
 そんな時代を「3丁目の夕日」は切ないような郷愁で美しく描く。しかし雨漏りがする、便所ではたまにウジ虫がいたりする生活でもあった。そんななりわいを大人たちは篠栗町を舞台にして全うし歳をとる。ところで地域創生というのは、高度経済成長でがらっと変わった就業構造をもう一度あの時代に戻そうとすることではないのだろうか。町の中で働く大人が主流派にならないと地域創生なんておぼつかないからだ。それは想像を絶するような変革だ。知恵もいるし覚悟もいるし犠牲も伴う。だが活路はそこにしかないように思える


◇ コラム駅前広場 2月15日号

 ユーカリヶ丘という住宅団地が千葉県にある。人口が1万5千人という。ここには専用の鉄道が、町をグルッと一周する形で走っている。地区内のどこに住んでいても歩いて10分以内に駅に着く。沿線には1戸建て住宅が広がる。逆に中心の駅の周辺は高層の建物が立体的に並ぶ。医療や文化などの都市機能が完璧に近く充実している。わずか1万5千人の町なのに、映画館もある。さらに鉄道が環状で走る真ん中の部分には昔ながらの景色が広がる場所もある。現代に生きる日本人にとって至れり尽くせり、かゆいところに手が届くようなまちづくりを1970年代から手がけ、けちのつけようがない町に仕上がっている。にもかかわらずさらに未来に向かって快適環境を考え得る限りの発展に向け張り切っているというのだ。
 年をとると、医療・介護付きのすみかを求めたくなる。それも用意している。というか、この団地は一斉に入居者を募るような開発をしていない。時を経るとともに町も人も老朽化していくことのないように、長期の計画のもと、何年もかけて住人を増やしていくという手法をとっている。だから各世代がまんべんなく住んでいる。バランスよく世代ごとに必要な施設を用意できるということになる。
 この町がすごいのは、1日の生活も数十年という長さの人生もすべて包み込んでくれる包容力を地域が持っているということだ。そのことは同時に多くの雇用の場が域内に発生するということでもある。そこが凡百の地域興し、まちづくりと太い一線を画す。大震災以降視察が増えたという。当篠栗新聞も視察団を派遣したい。


◇ コラム駅前広場 2月8日号

 かつて地域自治体の町長や議員の選挙は、福祉を拡充します、道路を造ります、文化施設をつくりますといった感じでサービスを競った。それらのサービスをするための資金をどうやって調達するかは等閑視していた。実は考えなくてもすんでいたのである。順調に経済成長していた日本では、自治体の資金となる税収は自然増収の連続だったからである。そこで、政治の営みというのは潤沢な資金をどういう優先順位で割り当てていくかがすべてだった。

 本来政治というのは、地域という共同体をよりよいまちにするためにどのような事業をするのか、そしてその財源を誰からどれくらいもらうかを議論し決定することである。日本の政治家というのは、本来の仕事である誰からどのくらい負担してもらうかというきつい仕事は免れ、自然に集まった金を誰に配るかという楽な仕事をしておればすんでいたともいえる。人々の利害がぶつかり合う場面で調整するという政治家としての修練の場を経ずして気楽な仕事をしていたということになる。

 時代は変わった。一言でいえばゼロサムゲームとなった。誰かが政治の恩恵を受け続ければ別の人は政治の谷間で無視され続ける、今までそれなりの手厚さで政治が手をさしのべていた高齢者や障害者の福祉にメスが入る時代になった。行革がもてはやされ、民でできることは民へといった流れが主流となった。だけど本当に取り組むべきは自治体のするべき仕事を確定しそのための財源をいかに集めるか、出るを図って入るを制するが必要なのだ。入るを制するとは産業政策である。(続)


◇ コラム駅前広場 2月1日号

 働き盛りとか稼働年齢層とかいうことばがある。人間社会をもり立てていくだけの知力・体力・社会常識をそなえ頼りにしなくてはならない人たちだ。ところがまちづくりとか地域おこしとかという場面では、肝心のこの人たちは水面下に潜ることになる。というか、町の外に勤務場所を定め、生計を立てるために一日めいっぱい働かなければならない立場である。
 町おこしの三種の神器というか、三大人材は馬鹿者よそ者若者といわれている。本当はそうではないのだ。脂ののりきった人たちが前面に立たなければ律動的で継続的なまちづくり事業ができるはずがない。馬鹿者よそ者若者も大事だが、働き盛りが中心に座ってこそ彼らの力が十二分に発揮されるはずだ。
 地域主権の時代、地域のことはそこに住む住民の頭と手で、といいながら中心に座るべき人たちの姿が見えない構図となっている。何でこんなことになってしまったのか。
 日本経済というか産業界は、非効率な分野を切り捨てつつ世界で戦える得意種目に特化して見事な発展を遂げた。その道筋自体に間違いはなかったのであろう。働き盛りの人たちはその先兵となって身を粉にした。あえていえば家庭や地域を顧みることなく。だが時代は変わったのである。文明史的な大転換をここで説き起こす紙幅もないし力もないが、富国強兵が疑いもなく信じられていた時代から経済大国へ変貌したごとく、今また日本は大きな潮目の変化の真っ直中にいることは否定しようがない。ガラガラポンにいち早く着手した地域が消滅から免れるということではないか。堅い話で恐縮。


◇ コラム駅前広場 1月25日号

【地元に仕事の受け皿を その5】〈親の世話人に任せてボランティア〉という川柳の皮肉の鋭さに感服した。何も東北まで出かけなくとも私たちの身のまわりには高齢者はじめ人の助けを待っている人は数限りなくいる。金と時間をかけて遠くまでいって人助けをしている人は単に目立ちたがり屋にすぎないと、少々毒を含んだ言い方をしたくなる。いや、ほんと、金と暇がよくあるものだと不思議でならない。

 身近なところでの人助けもしていないくせに勝手なことを書くなといわれれば黙るしかないが、それでもぶつくさ言いたくなる。地方創生が新聞見出しに踊る時代、何かおかしいと思う。まずはお世話になっている足下の我が町の、住みやすさとか人助けとかを手がけるべきだろう。だが一人ひとりの住人に文句を言うのは筋違いである。仕事にしろ奉仕活動にしろ地元に受け皿がないのが問題なのだ  稲作を中心に日本の経済が回っていたとき、子供たちは親が働く姿を間近に見ながら育った。大人になるにつれ親の知識と技術を受け継いで農耕に励み、村の掟や人間関係を学び地域社会を支える大人となる。地域興しやまちづくりとことさらに唱えなくとも日々の生活と営みそのものが家族のため地域のためだったのだ 時代は巡り巡って中央から地域に回帰してきた。日本株式会社の隆盛のために身を粉にして働くことが至上命令から地域のすみずみに目を配り、地域に生きる時代になったということなんだろう。三浦町長のことばが示すように地域から日本を元気にしなければならぬ。だから地元に仕事の受け皿を、だ。


◇ コラム駅前広場 1月18日号

 広報ささぐり1月号の巻頭を飾った今泉町議会議長の言葉を引用する。〈一つ一つの出来事が次なる行動を促すことにより結果が生じ〉〈その一連の史実が後の世の人から見て、歴史という表現になる〉〈そう考えると歴史という流れの中に、私たちも多少にかかわらず影響を及ぼしている〉。町づくりにあたってのキモがこの言葉の中にあるように思えた。今、自分はどんな位置に立ってどのような役割を担っていくのか、と自分の姿を篠栗の歴史の中においてちょっと俯瞰してみてみる、日々の仕事や活動や勉学に埋没するのではなく、いにしえの人が子孫の繁栄と幸福を願って森に分け入り土を耕し水路を引きより安定した生活の礎を築いてきたこと、それを引き継いで今を生きる人が次代の人の幸福を祈ってそれぞれの持ち場で力を尽くしていくことを、歴史の流れの中の営みとして見つめてみる。そうすると使命感や活動の意義が鮮明になる。歴史の一コマに自分をおくのは町づくりの原点ではないのかと議長の文章を読んで思った。
 町づくりの中心となって住人やグループを先導するのは、人材や規模や権限や様々な資源の蓄積からいって役場ということになると前号に書いた。篠栗町でそれぞれの思いを込めて活動している企業や団体や学校や写真に写る消防団などの力を十分に発揮させる条件を整え、互いに結び合わせ2倍にも3倍にも力が増すように、役場が自らの力も発揮しつつ全体に目配りしながら縁の下の力持ちになる。そうなってはじめてあすの社会を支える子どもたちが地元の大人たちの姿を目を輝かせて追う。

◇ コラム駅前広場 1月11日号

 子どもたちが憧れる地元の企業(事業所)の筆頭になる可能性があるのは役場だろう。安全・安心のまちづくり、町民全体が幸せを享受し、格差がなく一人ひとりの意見や夢が尊重され、あいさつの声が飛び交い町民同士が助け合う町、美しい景観があちこちにあって歩いたり憩ったりすれば幸福感に満たされる町、交通の利便性がよく教育や福祉も充実していて、スポーツ・遊びを楽しむ場所に恵まれ健康で文化的な生活を満喫できる町、そんな町をつくるためにみんなの先頭に立って意見をまとめ計画し、町民の力を集めて着実に夢を実現していく、そんな役場になれば、子どもたちは競って役場で働きたいと進路を迷わず定めることになるだろう。
 現状は当たらずとも遠からずなのか、一体どこの話?なのか。残念というか、悔しいというか、第二次世界大戦を挟んで日本という国は、欧米に追いつき追い越せというわけで、そのためにどちらかといえば地域分権というよりも中央集権というやり方が勝った歴史をもっている。役場という組織は自分たちの町に目を向けるよりも、県や中央官僚の方向に目を向けがちだった。2000年に地方自治に関する法律・制度は大幅に考え方を変えて改正されたのだが、そこでうたわれていることの内実は実現していないと言っていいだろう。
 だけど本来の姿に近づくことができる時代環境になった、いや近づけなければならない時代になった。石破大臣の地方創生を訴えるあいさつに武者震いしたという三浦町長を先頭に、役場で働く人たちが信頼の絆でいかにたすきをつなぐかであろう。


◇ コラム駅前広場 1月4日号

 甥の結婚式に参列した。会場は皇居を望む超高級ホテルだ。VIP気分を堪能する。正月だからめでたい話題で書き起こした。新郎は首都東京に本社を置く会社の船乗りになって男のロマンを香らせつつ活躍する。めでたい。だが寂しさも一方にある。私には、甥や姪が私の子を入れ11人いる。内6人が故郷を離れ東京かそれに等しいところで後半生を過ごす道を選んだ。淋しいのは彼らの親のことではない。いとこ11人の中で、活発な子、前向きな子6人が故郷を離れたという現実である。親は彼らに愛情と金をそそいで日本を背負う人材に育てた。しかしその成果は地元に還元されずに中央に吸い取られてしまう。中央・地方の格差はオセロゲームのごとく開いていく。
 若者が勉学にいそしむとき、あるいは社会に巣立とうとするとき、地元に魅力的な企業がなぜないのであろうか。身近なところに、若者が身を焦がすほどに素晴らしい企業があって、そこに就職するために刻苦勉励するという姿になぜならないのであろうか。篠栗の二つの中学校、三つの小学校に学ぶ子どもたちが、篠栗町の企業で働く従業員に憧れのまなざしを向けながら勉強しその企業をめざす。努力して地域のために能力と意欲を培った順に地元で働く場をえる。それこそが地方創生だ。
 初詣で、子どもたちは、そして子の親たちは何を祈り願うのだろうか。一生懸命勉強して地域のために力を尽くしたい、地域のかけがえのない人材に育ってほしい、と祈る初詣であってほしい。14日の成人式に集う若者たちの目はふるさとに向けられているか。(続)